「ダサい方が、かっこいいよ」
夜の、筋トレやストレッチの時間。
何か一本、アニメを見ることが日課になっている。
そのせいか、動画配信サービスのリストや視聴中のものが、まるで小学生のユーザーのようになってしまっている。
最近『東京リベンジャーズ』を見て、思い出したこと。
前の職場にて、小学6年生の男の子のレッスン。
この子の最初のレッスンを、今でもよく覚えている。
そのスクールでは
やむを得ない場合を除き「レッスンを受ける人以外は、レッスン室に入ることができない」というルールだった。
特別な事情はなかったけれど、その生徒の母親は、ルールを把握していつつ、どの先生のレッスン時も、毎回当然のようにレッスン室に入るのだった。
色々な人が対応したけれど、難しかったようだ。
先生の力量を測るような感じの視線に、私も緊張したし
生徒である男の子も、歌や話し方に遠慮があるように感じた。
しかしある時から突然、その生徒が1人で教室にやってくるようになった。
…すると、レッスンは通常通りの一対一。
その男の子は少しずつ口数が増え、歌うことも好きそうだった。
回数を重ねるごとに、徐々に心を開いてくれていたように思う。
…こうしてしばらく年月が過ぎた頃
話していた中で、心に残ることがいくつかあった。
それは「かっこいい」について。
特に「音楽」と「世間体」と「言葉」と「見た目」。
音楽
歌いたいという曲が、どれも大人っぽい。
最近流行りの曲ではなく
洋楽や、いわゆる「チルアウト」な曲が多いのだ。
そのセクシーで妖艶な歌詞や雰囲気を表現するには、20歳を超えた大人でも難しい。ましてや小6では。…いや最近は、色んなジャンルでスーパーキッズが多いけれど…それにしてもだ。
…でも、歌いたいということであれば、それを止める権利はない。
確かにかっこいい曲かもしれないけれど
アナ雪の『扉開けて』という曲を一緒にデュエットで歌った時が、一番輝いていたような気がするなあ。
世間体
ひとつ、悲しかったことがある。
その子は小中一貫の学校で、エレベーター式で中学へ行く。
形式上の試験を受け、その日の午後にレッスンにやってきた。
マスクをつけていたので、体調を心配すると
彼は
「小学生が日中に街中を歩いていて、不登校だと思われたくない」と言った。
だからマスクをつけて、“病院帰り”という設定なのだと。
今でも鮮明に覚えているほど
その発言と考え方が、なんだかとても悲しかった。
…気持ち、わからなくはない。
でも、うまく言えないけれど、とにかく苦しい感情が込み上げてきたのだ。
私の友達にもいたし
私自身も学校へ行かない時期があった。
でもそれって
自分的には、どうしようもなく自分が情けなくなったり、苦しくなったりする時があるかもしれないけれど
もしかしたら逆に、学校以外の場所の、喜びや楽しみの中で生きている可能性もある。
決して「恥ずかしいこと」ではないと思うし
「いけないこと」でも、「ダサいこと」でもないはずだ。
一人一人、事情がある。
周囲がどうこう言うことでもないし
仮に言われたって、気にする必要のないことだ。
胸を張って堂々としていればいい。
…でも、それが難しい。“世間体”というものが邪魔をしてくる。
何よりも。
その子がそう考えてしまうような“社会”や“環境”を思うと、切なくなった。
今、窮屈な社会にいるのかもしない。
「普通」のレールを意識しているのかもしれない。
自分の中の「かっこいい」を乱したくないのかもしれない。
自分の中の「ダサい」に含まれる何かがあるのかもしれない。
何にせよ
ここで言うのはまだ良いけれど
大人になったら、少し視野が広がるといいな。
そして、もう少し気楽になれるといいな。
…と、少し思った。
それに、彼にはちゃんと「午前は試験、午後はレッスン」という予定があるのだから、何も問題はないはずだ。
誰かに何か言われたら「違います」で済むのだから
「自分の中で思っておけば、それで良いじゃない」と明るく言うのが精一杯だった。
言葉と見た目
合間に雑談を挟むと
恋人の話、結婚の話、学校や友達が「ダルい」という話。
出てくるワードは「キモい」「うざい」「ダサい」。
大人に対しても、友達に対しても、否定が多く、吐き捨てるような言い方と、敬意が足りないように感じる言葉の節々。
「まあ、まだ小学生だしね」と思う反面
「このまま大人になったら、いつか誰かを傷つけてしまうのではないか」という不安が残った。
見た目も
確かに一般的に見ればとても整った顔立ちをしていて、実際にモテると言っていたのは事実だろう。
しかし、首元に光るシルバーのネックレスや、その口調を見て
私は、もしもこの子と同学年だったら、彼を「かっこいい」と思っていたのだろうか…と想像したことがある。
そして今の私は
聴く音楽も、考え方も、言葉遣いも、見た目も。
「もっとダサい方が、かっこいいのに」と思ったことを思い出す。
…「かっこいい」と同様に
「ダサい」の定義もまた、曖昧だけれど。
おそらくこの時は
「世間から見ればかっこ悪くても、なりふり構わず、心に素直なままに生きた方が、かっこいいのに」と思ったのかもしれない。
その姿を見て、「かっこいい」と思う人は、必ず1人はいると思うから。
そして
その1人にとっての“ヒーロー”になれたなら
そんなにかっこいいことはない。…と、私は思う。
「かっこいい」ってなんだろう
喧嘩が強くなくても
頭が良くなくても
友達が多くなくても
思いやりがある、とか
自分の信念がある、とか
言葉がまっすぐだ、とか
かっこいいと思う瞬間がたくさんある。
それは“女性”に対しても、“男性”に対してもだ。
自分の中の「かっこいい」の基準は今、昔と違う。
どんなによれた服を着ていても
懸命に子育てをしている姿はかっこいい。
どんなに奇抜なファッションで身を包んでいても
信じる道を楽しく生きている姿はかっこいい。
どんなにありきたりな日々を過ごしていても
休まず継続できている姿はかっこいい。
どんなに悔しくても理不尽でも
飲み込んで頭を下げられる姿はかっこいい。
どんなに失敗を繰り返しても
めげずに挑戦する姿はかっこいい。
あまり見ないけれど、
どんなに喧嘩の後で傷だらけでも
守りたいもののために戦った姿はかっこいい。
…こうして挙げてみると
私が思う「かっこいい」姿は、たくさんあった。
「かっこいい」って何だろう。
…そんなことを考えながら。
1人の男の子を思い出し、アニメ『東京リベンジャーズ』を見ていた。
若者の特権
例えば
タバコを吸う、とか
思いきり喧嘩をする、とか
乱暴な言葉遣い、とか
逆に口数が少なすぎる、とか
そういうのは、“若者の特権”かもしれない。
きっと傷ついたり、傷つけたりしながら色々なことを学ぶのかもしれないし
それが自分の思う「かっこいい」である時期もあるはずだ。
「ダサくなりたくない」もあるかもしれない。
でも、その「かっこいい」と「ダサい」を意識しすぎるあまり
自分や誰かを傷つけないように気をつけなければならないな、とも思う。
傷ついたら、その傷が癒えるのには時間がかかることもある。
何十年経っても癒えない傷になる可能性もある。
もうあの子には会えないけれど
どうか世間体や見た目のかっこよさだけじゃなく
いつか自分の理想とする「本当のかっこよさ」について、考えてくれているといいな。と思う。
そして私自身も考え続けたい。
私の思う、「かっこいい」はなんだろう。
自分を誇れるような「かっこいい」をちゃんと持っている人になりたい。
『東京リベンジャーズ』でたくさんの「かっこいい」を見つけた、最近のこと。
2024.8.27