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全てのはじまり。女子1人で海外を旅するようになったキッカケ。

今でこそ、当たり前のように海外を旅しているが、私がはじめて海外にひとりで行ったのは、本当に思いつきだったと思う。

大学3年生の頃、夏休みの予定が2週間ぽっかりと空いてしまった。

当時、本当は4年生になったら所属する予定の研究室で事前研修を兼ねたお手伝いをさせてもらう予定だった。大事な経験だとわかっていたから、その期間はバイトも入れていなかったのだ。ところが数日前になって、突然教授の学会&出張が重なって、学部生の受け入れができなくなってしまったという。

さて、この2週間をどうしよう。

当時の私は、ゆとりとはほど遠い週6授業のある学生生活を送っていた。しかも「奨学金をなんとか卒業までに返したい!」と意地を張って、バイトを4〜5個掛け持ちしていた。(結構面白いバイトを色々したので、その話はいつか機会があったら書きたいと思う)

つまり、予定をパンパンに詰め込んでいなければ死ぬ。泳ぎ続けていないと呼吸ができない回遊魚のようなものだったのだ。

そんな自分は、何を思ったのか女ひとりで海外に行くことを決めた。実際に出発する1週間前のことである。

それまでの海外経験は、高校のときに学生交換でオーストラリアでホームステイしたことがあった。しかし、それらはすべて学校が用意してくれたので、飛行機やホテルの手配なんてしたことがなかった。

何も予定がない状態から一転して、そこからの1週間は怒涛の日々だった。

✦✦✦

はじめての行き先に選んだのは、ドイツのミュンヘン、ウィーンのあるオーストリア、そしてチェコだった。ドイツの南側からぐるっと中欧をまわるコースだ。

なぜかと問われれば、当時観ていたアニメの影響と言うほかない。

私は子ども時代、漫画もアニメも禁止、という抑圧された環境で過ごしていた。そんな時期を経て大学生になったら、そりゃあ反動を大いに受けて、忙しい大学とバイトの合間をこじ開け、寝食を忘れて、昔の名作アニメに没頭してしまうものだろう。ひとり暮らし万歳。

そのとき一番ハマっていたのが某錬金術師のアニメだ。その昔作られたオリジナル版の映画の舞台とされたのがミュンヘンだった。(概念だけど)

自分の中でいま培われている「行動力」が、はじめて芽生えたのはこの瞬間だったと思う。

衝動のままに、とりあえず航空券を予約した。
その後はひたすら行きたい場所やホテル、そこまでのルートを調べて、綿密にノートに綴った。最初はヨーロッパの電車が時間通りに来ないなんて知らなかったから、電車の時刻まで分単位で書いていた。はじめての1人旅はわからないことだらけで、旅先でのトラブルやノウハウといったブログや旅行サイトの経験談を読み漁った。

それと同時に、私は形から入るタイプのオタクであった(と、この時判明した)。

自分でも不思議なほど、ぽんっと一眼レフを買い、当時のバイト生活では考えられないほど高価なスーツケースを買った。(20万くらいした)

おそらく大学1年から粛々と続けてきた勉強&バイトの苦行から解放されて、一気にネジが外れたのだろう。

ちなみに、そのスーツケースは革のバンドルが付いたクラシックな見た目で、まるで映画に出てくるみたいなものなのである。一目惚れだった。高いものはやはり良かったのか、10年近く経った今でも愛用している。

とはいえ、すべてにお金をかけられるわけではない。学生らしく旅費自体は15万にも満たない節約旅行だった。(ヨーロッパに10日間、往復航空券込み)

まずホテルは小さなB&Bの屋根裏部屋だった。ヨーロッパなので、当然エレベーターもない。しかし若さと体力だけはあったので問題なかった。たまにステキな老紳士が荷物を運ぶのを手伝ってくれたりもした。天井が斜めになっているところも、キルトの掛けられた小さなベットもお気に入りだった。

観光はもっぱら街を歩いて、歩いて、歩き回った。
そのせいでドイツ2日目にして、お気に入りのローヒールパンプスが壊れてしまい、ローテンブルグの小さな靴屋で、はじめて海外で靴を買った。身振り手振りでなんとか壊れた靴のことを伝えて、日本とはサイズの表記が違うから、優しい店員のおじさんがいろんな靴を試し履きさせてくれた。

ローテンブルグを検索してもらうとわかる通り、街全体がおもちゃ箱のように可愛い場所なのだ。そこで靴を探すなんて、まるでお伽話みたいな時間だった。

と、多少美化された記憶は多々あるが、はじめての海外ひとり旅はこんな風に忘れられない記憶ばかりなのである。

他にも「列車に閉じ込められた末に地下鉄を運転することになった」り、「酒場で初対面の人と輪になって踊った」り、「ワッフルを片手に駅まで全力ダッシュした」り、「はじめての海外でひとりでオペラを観た」り、「たまたま出会った旅人とウィーンで再会した」りした。

いま思い返せば、クスッと笑ってしまうような、本当に不思議な晩夏の出来事だった。

あれから10年、いまの私は航空券を買うのも、海外にいくのも、現地で過ごすのにも戸惑うことはない。

困ったことがあっても「大丈夫、私ならなんとかできる」。そんな自信が持てるきっかけの始まりは、間違いなくあの旅だった。

あのとき海外に行っていなかったら、もしかしたらいま海外をふらふらしながらのんびり住みたい場所を探す、なんて事をしている自分はいなかったかもしれない。

いま考えてもあの時の行動力には驚かされる。

しかし、そういう「いま」の何気ない行動が、先の「いま」に繋がっているのだと思う。いまの私が未来の私をつくっているのだ。

✦✦✦

余談だが、当時の私は計画を立てることに夢中になって、海外に行くことを家族や友達に言うのを忘れていた。帰ってきてお土産を渡してびっくりされた。

その経験がいまも同じように反映されてしまっていることは、ここだけの秘密であるーー


ドイツ南部、バイエルン州の小さな街
絵をみせてくれた路上画家
当時、買った靴
カフェで近寄ってきてくれたわんこ


Twitterやってます(@mug_i11
Instagramに海外での日常生活を載せています☞(#mugi_trip

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mugi
数ヶ月ずつ滞在して「どの国に住みたいか」を考える自由研究をしているフリーランスの考察・感想です。このnoteは移住計画の頭の中を綴っています。

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