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休日に想う
ただただ今回はいつも以上に散文になると思う
起床7:30くらい、50分10kmランニング、風呂9:00
30分両親の携帯料金見直し
~12:00スプラ
ここのところ休日はランニング習慣が定着してきてる
ランニングってお金かからなくて、健康に良くて、ストレス発散になって
いい趣味だよなとつくづく思う。
梨泰院クラスのパクセロイもまさにそう言ってるシーンあったな確か
ちょうどいい体への負荷って、心地よくて
キツすぎると筋肉痛辛いんだけど
うすーい筋肉痛くらいだとなんとも心地いいことをこの頃知って
コントロールして運動できてる。
ランニング最中の高揚感はもちろんあるし、
休日の朝6~7時くらいにランニングするんだけど運動後、午前中ずっと
心地よい疲労感を感じることができる、(ドバミンなのかセロトニンなのかテストステロンなのかよくわかんないんだけど)
年明けくらいから、働かない方向、ベーシックインカムへの憧憬の念が高まっていて
そういった考えが頭の片隅にずっとあって、
もし今後働かなくていいようになったら、
毎朝ただただランニングして過ごせたらなーと、ただただ思い馳せている
SDG’s、脱資本主義的発想からくる「足るを知る」を実践するなら
私はもうこれさえあれば、結構もう他に何もいらないくらいにさえ思える
誇張とかなしにそれくらい充足感得られている
なんてことはない、ただ朝気持ちよく50分ランニングするということに
実際のところ昨今言われるシンギュラリティ
AIに仕事を奪われる
というのは人が無理して働かなくていいようにエコシステムを整えていく
ことが目指すべきところと考えている
労働から解放されたら、毎朝10kmランニングだけしてベーシックインカムで生きていたい
ただただそう願いでいる
これは先日書いた、働かないでゲームだけして生きていたいというのに重なる
ゲームだけして1日を過ごしていくっていうのも最高だけど
運動で得られる心地よさにはかなわないし、
部屋から出なさすぎると、運動不足になってしまうんだよな
で、ゲームだけやってると承認欲求が満たされないことも書いた
そこの点でも、ランニングするということでは
何も生産はしてないんだけど、自尊心みたいなものは結構みたせるんだよな
走り終わった時の「やってやったぜ」という爽快感
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↑でも午後は昼寝しまくって
起きたら夕方だった、、朝の運動とスプラだけの休日ってのも悲しい気がしてカフェした若葉台のコーチャンフォーはそういう時とても居心地がいい
抹茶ラテうまい
まあとにかくアダムが楽園から追放されてからというもの今に至るまで
人類は労働から逃れられていない
人は歴史から何も学ぶことができない生き物だから
自分らの子や孫の世代にはもう少し改良された仕組みを整えて
示してあげられたらな
具体的な行動や計画はこれからの課題として僕らに残されている
休日に走りながら、そんなことを想っていました