自由の哲学 第1回:26年前の問題
自由、というキーワードはちょっと恥ずかしい。だからなのか、自分の仕事では前面に出すことがなかった。いや、正確には、『勉強の哲学』では少し自由と言っている。自由になるための勉強と。でもそれは「ゆるい言い方」だと思っていて、哲学的な厳密さを犠牲にしたつもりだった。自由をめぐる哲学的問題に正面から取り組むのは回避してきた。自分の問題がそれだとは思っていなかったのだが、というより、直視したくなかったのかもしれない。
『動きすぎてはいけない』では、ドゥルーズの文脈からできるだけ離れず