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生命の庭のお話:蕗を食べた
蕗を茹でてタケノコと鶏団子に身欠きにしん、根菜を合わせて食べた。
特別に美味しいわけでも、スーパー食材でもない。
細くて短い蕗で売っているものなどとは比較にならないくらい貧弱だ。筋張っているし、格別美味なものではない。
というか、お店のお惣菜の煮付けや弁当に入っている「蕗」は出汁の味が強くて、余りスキではない。一見して、健康的だなあと思うかもしれないが、値段を高くしても売れるトリックなのだ(笑)。と言うか、大量生産の食材に禄なものはない。蕗に特別な物質が入っているわけではない(と思う)。
口に入れてもほのかに蕗の香りがするくらいである。それでも食べるのは、美味しいからである。季節の味だからである。
大事なのは、「食事になるまでのプロセス」である。
根菜は下茹でしたほうが美味しい。たくさん種類の食材が、ジックリと煮えて、溶け込んでいく。
身欠きにしんは五分乾きくらいが好きだ。本乾きのものを戻すのは面倒だしあまりうまく行ったことがない。身欠きにしんの甘露煮蕎麦はうまいけどね。中々、本場物の味に叶うものではない。
鳥のひき肉があったので団子にして焼き付けて砂糖醤油で煮て味のベースにした。身欠きにしんだけだとパンチに欠くのだ(笑)。かと言って豚では雑味が多くタケノコの風味が消える。ぶつ切りの鳥は油が浮かんで翌日が辛い。ささみの部分を挽き肉にしたとりに生姜のすり身を入れて、丸めてしっかりと小麦粉を付けて焼く。
こんにゃくタケノコ(元の方)、椎茸を入れて、砂糖と醤油を焦がして酒で煮付ける。濃い味が先に入り込んでしる全体に味が回るのが美味しい。
残りの材料を煮込み鍋に入れて、合わせて煮込む。
何とこの日はたけのこの汁も作った。豚のしゃぶしゃぶ肉を浮かべて醤油で味を入れる。タケノコは下茹(アク抜き)でしてあるので実に嬉しい柔らかさになる。
い一回の食事作りは、実に綿密なプロジェクトである。毎回違い、季節によって食材の処理も変わる。そして、同じものを作ることが大事。毎日の生活は安定を持ってよしとする。そして身体の状態は変わる。変化に従って変わる。家族のことを思い好きだと言ってくれるものを作り、毎日をつつがなく生きることを望む。
奇をてらって何処ぞの珍味を求めるのは良しとしない。単純な焼き物煮物、食べて口に美味しいものを組み合わせて作るが良い。
煮しめは、明日も食べるので、魚を焼いて、大根をおろして、揚げ物をした。娘の好物の「豚捨」と言うお店のコロッケが送られてきたので揚げてみた。実に丁寧な作りである。一つ残っていた水餃子を焼いた。
一回の食事で色々なものを食べる
何よりも大事なことは、素材から素材の中の生命を大事に作ることだ。そして、食べ切りではなく数日に渡って食べることのできる量をつくる。小腹がすいた時は、重宝する。この煮しめは3日後も食べていた。
どこぞのレストランなんぞで食えるものではない(笑)。お店にでかけて注文して、でてきたものを食べて帰るくらいの時間で作って食べることができるのである。
相当に美味い。これは、大量生産では作れない味だ。
蕗は銅鍋(あかなべ)で下茹でした。
銅鍋(あかなべ)は母の残してくれたもの。ぼくが小さい頃は小さな鍋を大事に使っていたのを思い出す。18で東京に行って、帰省するたびに鍋が増えていた。
僕の学費や家賃に使ってくれていたお金がこの鍋に変わったのだと思うと僕の兄弟だなと思ったものだ。普段は壁にぶら下がっている。年に数回しか使わないが無いと出来ない。年寄りの金玉のようだ。ん、あっても出来ないこともある。
こちらのサイドは、平野屋にいた頃の道具。一番奥のものは50年は使われている。タケノコを50本くらい一気にアク抜きする時に使う。
この部屋に来た人はだいたい驚く。何に使うのと言われるが、一年のうち、殆どの期間は、壁紙である。しかし、使いた時になければ出来ない料理も有る。
そして、いつか何もかも忘れてしまう日が来る
母の笹団子は、笹から取ってくる。もちろんヨモギも山から摘んでくる。
取ってきた笹の葉を茹でてアク抜きをする時に使うのだ。山菜を茹でる時にも銅鍋は蒼がきれいに残る。蕨はこれで煮ると全く違った色合いが出る。
母のつくる笹団子の笹の色はきれいな緑であった。そこらの売っているものではとても出ない色であった。僕が、笹団子を習おうと思った頃にはすでに母は自分でつくる力を失っていた。最後につくって、僕に持ってきてくれたものは、上手く笹で包めて無くて中が半沸だった。それを見せてくれた母は、もうだめだと言って、二度と作ろうとはしなかった。
どうしてあの時に、一緒に作ろうと言えなかったのだろうか。後悔ばかりである。年取ったものだ。
小屋には取ってきた笹やイグサ(縛る草)が束になって、乾燥ヨモギが置かれていたが、気がついたら消えていた。時折売られている笹団子を買って食べてみるが、遠く及ばない。一年に1000個つくるといつも言っていた母のことを思い出す。
僕も例外ではない。
運良く長く生き延びることが出来ても、やがて僕も鍋を炭にして料理を作ることもできなくなり、料理を出来ていたことも忘れる。
必ず自分にも来る未来である。恐ろしく近くて、見たこともない風景である。かつては年寄りと暮らし介護していたから体験したことであるが今は違う。突然やってくるのだ。
一人で暮らせなくなって、人様の世話になった時に、「ドッグフードのような飯」を食わせられたくない。施設の職員も一緒に食べて健康な人生の終りを迎えられるとしたら、彼らにとっても福音である。
しかし、大学の先生方(インチキ叔父さん)のいうことが正しいのかもしれない。食事は栄養素を取るものであって、人の体で作れない栄養素を食べれば良いのだ。腸内環境を整えるサプリを飲めば良いのだと言う。
僕にはアイツラの言うことは信じられない。病人作って薬売って、同じような手術を繰り返して、「経管栄養・胃瘻・輸液」でベッドに縛り付けて「頑張らせる」のが商売ではないか。
どちらが正しいのであろうか?
問題は単純である。続ければ良いのだ。そして記録して、僕自身がエビデンスになれば良いのだ。
「食事作り」は簡単ではない。どこぞに旅行にも行けず、遊びにくこともままならない。けどね、そんなことよりう~んと楽しいのだ。
人生の最後の10年をピンピンと生きてころりと死ぬ事はとても嬉しいことである。
2015年、僕は食事の価値を直感した。母が亡くなり、父と5年暮らした。家族の食事を作るというのは、全く外に出れないのである。そんなに辛いかと思ったが、そうでもない。僕は楽しかったのだ。
多分、僕が見つけたものには価値がある。医療で商売している人には利益が相反するかもしれない。けどね、自分の問題だと考えてみるが良い。そうすることでしか、世界は変わらないのだ。
僕はピンピン生きてころりと死ぬ。
医者には行かない、どんなに健康だと思っていても、医師ゃに行けばあっという間に病名がついて、薬漬けにされる。薬飲んでいても、年取れば体が壊れる。そして、壊れていることをよく聞く薬は隠してくれる。だから他の臓器はそのままに、薬を止められなくなる。
身体の内側の組織や臓器が衰えていくと、他の臓器がフォローして壊れた臓器は作り変えられて、のこったメンバーで世界に向き合うのだ。そして、小さな年寄りになっていき、ころりと死ぬのだ。
ところが、県債が正常ならば、身体というネットワークの中に臓器は以上に気が付かない。どんどん進むが、から同じような手術を繰り返すことになる(笑)。
「健康診断」をこれだけやって、老人(僕も入る)がどれだけ幸福になった?次々と検査値の異常を見つけては、嬉々として薬売って人助けという。
検査値は、食事が身体に反映したものである。食事を変えないで検査値だけを下げて、どうする。
検査値の問題や身体の不具合は、年を取れば仕方のないものだ。その状態でよりよく生きるすべを見つけなければならない。本来身体というコロニーの内側では、多くの生命が互いに綱引きをして、時に共生しながら少ないリソースを奪い合い、徐々に力を失っていく。
それが老いであり、死であるのだ。そして身体というコロニーから開放されたマイクロバイオームは新たな生を求め地に満ちるのである。
調和ある生と死(ピンピンコロリの人生の終わり)はどこにあるだろうか?それは食事の中にしかない。そして一人一人は違いすぎるから誰にもでも効果のある魔法の食事はない。かつては家族が持っていた食事作りを今や一人で向きあって見つけねばならない。
今年は、庭に生えてきたヨモギで草餅を作ろうと妻が言った。少し伸びすぎたようである(笑)。
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