2015年4月8日「失明予告」と「幸運な病のレシピ」の始まり
30代に糖尿病と診断されて、治療と中断を繰り返していた。
2015年4月8日に眼底網膜症の検査で失明直前と宣告された。翌月に手術をするよう言われたが断った。「分かってないね失明するんだよ」と看護婦共々馬鹿を見る目で言い放たれた。
この日から僕は食事を作って病気に向き合うことにした。
友人の医師の勧めで自己血糖測定をしながら食事を変えていった。様々な発見があり、11月には全く治療(インスリン)の必要のないレベルに落ち別な眼科医で特に失明の危機はないと言われた。
2017年にこの体験を出版する機会を得た。「幸運な病」と言う本である。僕は、糖尿病というあまり名誉ではない病気にかかったことに感謝している(笑)。食事の価値に気がつけたのである。
食事に500円も出せば満腹になれる。定食屋さんで食べても、スーパーで買っても実に安い値段で満腹になれる。僕は病気と向き合うために3食、素材から料理を作ることにしたのだ。同時に炭水化物はできるだけ避けた。
炭水化物は毒ではない、あまりに美味しすぎるから、食事の中から大事なものを押し出してしまうのだ。
健康情報・レシピ情報って気に入らない
どんな食事で血糖値が安定するのかという本は多い。また、レシピ本や食事の情報が載っている本やsiteは山ほどある。
しかし、毎日食事を作る続けようとした僕を助けてはくれなかった。見栄えのいい一品、食べた人が驚くような味付けの仕方、七五三のごちそうのように綺麗に盛り付けてある。題名も、「簡単・馬鹿にでも出来る。一週間食費1000円で過ごす方法、5分で作れる朝ご飯.....」レシピ本の店に行けば、みんなが何を望んでいるか分かる。
そして医師の監修がついている。バランスよく、必須栄養素を十分とって、和食万歳、お魚重視、塩分控えめ.....そんな食事指導が今の世の中を招いていることが分かっているのだろうか?1960年代に確立された栄養学こそが私達を少しずつ殺している
50年前になかった病に皆怯えている。この50年の変化こそが原因だと感じているのだ。
料理を毎日作るのは並大抵のことではない
とにかく、毎日作っている。素材を大事にして、自分の体を実験台にして毎日作った。後片付けもみんな自分でやった。
家族からはまずい、皿が汚い。子供は弁当を食べない、わざわざカップ麺を食う。妻はいただきますと言わない、食事作りは人間関係の反映なのだ。
「食事ハラスメント」は深刻だ。父親が作るというのは全く違った意味があるということに気がついた(それはまた別な話)。
家事分担も一切しなかった。いつか妻が亡くなってからも自分で料理を作れなければ「缶酎ハイとおにぎりの老人」になる他ないのだ。80歳になった時に子供た一緒に住んで食事を作ってる幸運など望めない。僕らはすでにそういう世の中で生きれいるのだ。
2016年に母が亡くなり、2020年に父が亡くなった。隣に住んでいて、僕が毎日食事を作っていた。徐々に妻との諍いも少なくなり、これからの人生について向き合う準備ができてきた。
今年、僕は還暦になった。
僕のレシピが見つかった
僕のレシピは皿の上の素材ではなく、作るプロセスを重視する。「乾燥・濃縮・抽出」工程を通らない食事作りだ。それは50年前に食事を家で作っていた時代の考え方なのだ。
2017年、僕は自分が食事を作っていることを友人に話した。しかし伝わらない。本当にそんな事出来るわけがないという。そこで、毎日の食事作りを動画にとってアップすることにした。もう2300回を超えた。
一日多い日で3本少なくとも1本はアップしている。とんでもない時間がかかる。見る人も少ない(笑)。
僕は友達の少ない子供だった。台所で母の料理する姿を見て育った。とても大変な手間がかかることを知っている。しかし、母は当たり前のように毎日食事を作った。働きながら家族の健康を願ったのだ。
僕のレシピは、「食事作りは大変だ」ということを伝えたいのだ。そしてそれだけの価値があると言うことを伝えたいのだ。
母が亡くなったとで父が毎日食事をしに来てくれた。一緒に食事ができて僕は幸いであった。
youtubeのチャンネルでは毎日最新の食事作りが公開されている。誰が見るんだろう(笑)。見直してみると、徐々に上手になってきていることが分かる。面白いものだ。これはドキュメンタリーであって、ハウツーものではないと思っている。
失明予告の日のブログ
翌日に友人の医師に会い、相談した。治療はしないという僕の意思を尊重してくれた。血糖値自己測定を勧められて僕の長い旅が始まった。