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幸運な病のレシピ:わが玄米人生

玄米はスキなのだが、「玄米正食」は嫌いだ。なにせ、白米食っている人をボロクソに貶す(人がいる)からだ。いい人もいる、僕を心配して玄米おかゆのパックを頂いたのも、「玄米正食家」だった。30歳になる頃の話だ。

この問題は奥が深い。自分の信じているものを他人に勧めたくなるのである。世界を変えたいという熱意はとてもいいことであるが、時に悲劇を生む。

食事というものは生活に密接なものだからポンと入れ替えることができるものではない。多くの利害を含み、最終的にはその人の心(マイクロバイオーム)が決める問題である。

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糖質制限は間違えている。

最近友人に勧めたた随分調子がいいようなので、僕も始めることにしたのだ。というか7−8年くらい前から子供が嫌がるので白米にして、その後は完全糖質制限になったので、米を食っていなくなったのだ。

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いまは、「糖質制限家」が嫌いだ。『痩せる』と言う効果はあるが、それは単にBMIと言う検査値の一つの問題なのだ。本当の問題は、検査値と様々な災厄の間に因果関係が有るのかということだ。痩せたら「ケンコウ」なのかという事である。

本格的に食事を作り出した頃の台所だ。当時珍しかった食洗機が有る。「恋人との二人の時間」がついてくるというキャッチにかったが、ついてこなかった。昔から僕はは騙されやすい。

もっと問題は、「糖質制限」と言う考え方が権威が発信しているものになリ下がってしまった。誰かがものを売るために唱えるスローガンには気をつけなければならない。最近はコンビニでも「低糖質の食品」が売られている。そして医師(専門家=商売人)が太鼓判を押すが、僕には気に入らない。

商品化された食事は、僕らを殺す。少しずつだから気が付かないが、いずれ致命的な疾患が起こり何度も手術を繰り返し、幾重ものよく効く薬を処方差される。医師には2度美味しいおまけ付きだ。

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全ての問題は、自分の問題である。どこかの誰かに言われて信じてはならない。誰もただでアンタを助ける人間などいないのだ。

勿論、同じ苦しみを持った人は別だ。ともに生きるために信じ合う仲間は必要だ。それが家族なのだ。

いつも心は弱い。どうしても誰かに頼ろうとする。それは仕方がないことなのだ。僕だってそうだ。残念ながらその家族というシェルターは失われたのだ・

辛いことではあるが、自分に向き合うのは自分だけなのだ。

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「ガン」が消える食事はあるのか?

ガンが消える食事という本はたくさんある。「玄米食」でガンが良くなったという本は多い。僕は否定的だ。玄米に神秘的な力があるとは考えられない。

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玄米正食はコンビニやスーパーにはポンと売っていない。結構と面倒な食事codeがある。だから自分で作らなければならないのだ。マクロビオテックを売り物にしているレストランなども有るがやはり値段は少し高めである。

なので自分で素材から作ることになる。そうすると僕の食事と同じレールに乗る。嗜好品を少なくすることでなおいいことになる。

お櫃バンザイ

25年くらい前から玄米食をしているが、始めた頃は炊飯器に玄米モードなどかかったから圧力鍋で炊いたものだ。炊きあがったら、すぐにお櫃に入れた。

ジックリとさめていくのだが程よく保湿があり、美味しい。洗うのが一苦労だが、まああ、仕方がない。


今使っているのは2代目のおひつだ。長けてすぐに入れるのだが実に美味しくなる。木の間に鋼が入っているタイプらしくてたがが緩むということがない。一代目のものは底が抜けてバラバラになった。このタイプを探しているのだが見つからない。

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周りも外から巻くタイプではない。どうやって作るのだろうか?作る所見てみたい。

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蓋も一枚物の板をくり抜いている。すごい細工である。檜でできているだろうか?香ばしい香りがして、ので米も悪くなりにくいようだ。

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毎日、素材から食事を作り、玄米をそこそこに食べる。

できるだけ酒は避けたいのだが、人生が辛い。飲まずには居られない。

ヌカ漬けをはじめた。僕の作り方は、タクワンタイプである。水を入れないで素材からの水分でぬか床を育てるのだ。こんな朝飯は最高だ。

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年をとった時に何よりも怖いのが便秘である。

完全に炭水化物を食べないとウンコが全くでなくなるのだ。これには驚いた。実際に記録していたのだが、数日全く出ないで唐突に僕を襲うのである。浣腸・摘便もした。

玄米を食べるとふかふかのうんこがドカンと出る。これは嬉しい。とは言っても人様々なのだから、自分がそうでなかったり、味が気に入らなかったら止めておくことをおすすめする。

食事は薬ではない。楽しめなければ意味がない。

母は最後までウンコが上手く出なかった。玄米おかゆを作ってあげればよかったと今も思う。人生で僕は余り後悔はしない、けどこれ(母に関すること)だけは別だ。

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現存する最古の玄米の弁当。大阪で過ごしたときのものだ、毎日こうやって弁当作っていた。とにかく歩いていたから、痩せても居た。1994年の頃だ。

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首になった後で、四国を一周した。素晴らしかった。いいバイクだった。

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多分この頃である。痩せている(笑)。直前(下)とは全く違う30kgぐらい違っている。

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幸運な病のレシピ
厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。