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幸運な病のレシピ:マダラ子の煮付け、母の思い出。
時折、マダラの子を見つけることがある。母が大好きだった。2013年前後から、徐々に父母の料理と作るようになって、何度か作るようになった。年寄りと暮らさないと年取った時に食べるものを学べない。
自分が年老いて、料理作りができなくなり、子供が食事を作るということには意味がある。僕は10年近く母と父に料理を作った。多くを学んだ。
昼や前日からの食事、汁が加わり、満腹になる。生命にあふれている食事がピンコロ人生を迎えさせてくれる。
この数十年で「壊滅的な文化の断絶(注)」が、起こった。
お店で売っているだろうが、その味は大量生産の味である。料亭ではあるかもしれないが、毎日食べるようなものを量多く出すことはない(食材の値段が安いから「高額の膳」にならない)。
料理は専門家に任せればいいという方々もいるが、50年前まで料理の専門家は家庭にいたのだ。大きな社会の変化がそれを許さなくなった。
かつて、人々は「人として」企業に雇用されていた。今は時給で時間を切り売りするのである。企業が必要な文だけを売り、企業は買いたたき、朝から晩まで働き詰めでやっと生きていける賃金にしかならない。年金は足らず、老後は生活補助でギリギリに生かされる。そそして大金持ちうは車庫に外車を何台ももち、子供は海外旅行に豪華な結婚式で資産を受け継ぎ、社員を召使いのように時給で使う。詳しくは #格差の方程式 を御覧ください。
残念なことは、この断絶に気がついていないことだ。生活習慣病に僕らが苦しんでいるのは社会の問題なのだ。医師も栄養士も手の打ちようがないのはいくら探しても答えがそこにないからなのだ。
私達は答えを見つけられない連中に答えを求めているのだ。
医師や栄養士も自分自身の嘘に騙される。これは喜劇的ですらある。
スーパー安くなっていると買う。人参と糸コンを入れて煮付けるのだが、売っているものや料亭で食べるものとは違う。
味付けは、僕の味付けだ。母のに比べてすこし甘さが少ないかもしれない。人参と糸コンはこの辺りの地域の特徴かもしれない。
汁っ気が飛ぶまでコトコトと煮る。だんだん味がちょうどよくなっていく。すこし汁は残ったほうがいいが、ほんのすこしである。ごま油を入れることも多いが。今日は忘れた。
朝の味噌汁に、夜の汁、鍋底を間違えた一つ、そして真鱈子の煮付け、マユのご飯も雪平鍋で作った。我が家は雪平鍋の大国である。
注)文化の断絶
文化とは、私たちの毎日の生活に埋め込まれている。荘厳な建築や美しい庭園は、あくまで私たちの「延長された自己」でしかない。そして、それは毎日の生活を通じて親から子へと共有されていくのであった。決してマニュアル化出来るものでも役人が制度化出来るものでもない。
優秀な考古学者が化石の断片から長い時の向こうの生活を洞察するように、私達は生活の節々の内に遠い自分のルーツを感じる。
うちには古い写真が多くある。この写真は母の母が中心で後は誰かわからない。、後ろの掛け軸は今も家にある。四幅が檜の箱に入っていた。
どこかの絵かきが家に来て泊りがけで書いていったという話を、母はお爺さん(母の父親)に聞いた。我が家の文化財である。
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