2021年のタケノコ(6):メンマ(シナチク)を作るために最後の出動、15本取った。
61年生きてきて、メンマ=シナチク(干しタケノコを戻して煮付けたもの)を自分でつくろうとは一度も思わなかった。特に育ちすぎたところは煮てもあまり美味しくないので取らないようにするか捨てるかであった
その後、乾燥は終わった。瓶に入れたのだ。カッコいい。
今年、試しに干してみたのである。
無論、戻して美味しく出来なければやっても仕方がない。
一晩水で戻してみた。普通に水に浸して放っておいた。
ごま油と醤油で炒め煮してみたら何とうまいではないか。コリコリして最高である。結構保存がききそうなので嬉しいものだ。これはやるしかない。
僕はラーメンが大好きなので自作のシナチクでチュルチュルしたら旨かろうと夢に見たのだ。
夢は実現してみなければならない(笑)。
ということで、また出動である。もう今年は終わったと思っていたのでであるがまだでているはずである。2021年5月10日のことであった。
この時期はでていることはでているが、細い物が多い。そして伸びるのが早い。タケノコは竹の新芽なのだと考えると納得がいく。今年は7回くらい行った。
おおよそ1時間竹林にいた。
こんなに忙しくして、本業の仕事もするのだから偉いものである。まあ、大して仕事もないのであるが。
この時期のタケノコは、あっという間に竹になっていく。このくらいでているともう固くて食べれない。伸びると困るのでただ倒すだけにする。
パット見て3本でてきている。これは嬉しいと言うか、皆大きく育ってきている。このぐらいのタケノコが市販っされていないのは、伸びが一気に進むのであっという間に食べて美味しい時期はすぎるのである。
わざわざ、曲がって出てくるタケノコも有る。生えにくいところに出ても竹はまっすぐに空に向かう。植物は面白い。
太くなることよりも、細くても早く伸びたいと見える。森の端の方の出方はこうだ。領土を拡大する尖兵のようである。
根が伸びるところである。攻撃色の赤がきれい。
こうなるともうシナチクにもならないので打ち倒すだけである。なんか可愛そう。しかし、やがてここも腐海に沈む。
收穫は15本
山の斜面を上がったり降りたいで結構な運動になるのだ。
大騒ぎである。毎日すれば良いのかもしれないが.....
このあと3本行きがけの駄賃で取ったので15本取った。そのまま解体に入り家に戻った。
その場で解体する。皮は森に残して帰るのだ。やがて来年のタケノコになる。
家ではヨモギが干されている。これが終わったら干し用のザルで干すことになる。そもそもは梅干しを干すために買ったものである。ここ5年位の間に商品化されたものだと思うが、優秀である。竹で編んだ物は細かいかけらが離脱してつくのだ。
マユが食べようとするのでブロックの仕切りの向こう側に設置したが、この角度では日が当たらない時間が長い。そこで改良が必要となった。
アク抜きは半日かかる
アクが抜けて冷めるまで待ってから水に浸す。
今年は鍋が2つで済んだ。毎年は3つ使っても足りないくらいだ。
茹で上がったら温度が下がるのを待って、流水で洗う。ここで食べるのが一番美味しい。余りアク抜きの水に長く入れておくとすこし臭みが出るので、覚めたらできるだけ早く洗い流す。
右の大鍋の法は酢水で瓶詰めにする。大学時代の恩師に送って、友人にタケノコご飯と煮しめを送った。
これを薄く切って干すこのであった。
こちらは酢水に入れて保存である。「水7 対 酢3」の割合で漬けておくと一年もつ。昨年実験したが、煮沸は必要ない。煮沸したほうが腐ったのである。世界はマイクロバイオームで満ちているのである。タケノコは小さい虫たちにも美味しいものと見える。
これだけ瓶詰めが有ると一年は持つ。結構タケノコは料理で使うことが多く重宝する。母のやり方(オカラで塩漬け)は手間がかかるのだ。
実家の布団干しを縮めて台にしたこれだけ高いとマユにも手が出ない。
普通干したタケノコはこのへんは使わない。多分そのままで売れるからであろう。パックされたタケノコはこの辺りが使われている。もっと根元の方は干して戻さなければ食えないのだ。
ちょっと太めにも切った。乾燥と戻しでどのくらい手間がかかるかを試してみたい。
大きめに切ったり薄く切ったり楽しみである。天日乾燥というのが大事なような気がする。大気の中の様々なマイクロバイオームが乾燥していくタケノコに入り込んでいきそこに潜むのではないかと思う。そう考えると天日乾燥をとうした野菜がうまくなるのも分かる。
ちょっと斜めにしてみた。
一日で結構乾くが、まだ湿り気がのこているのでもう一日でパリパリになる。
恩師と友人に送ったタケノコご飯である。
こっちは身欠ニシンにタケノコの煮付けである。
晩飯は、鮭のカマを焼いて色々と食べた。いっぱいやっちまった。
天罰てきめん、足がつって目が覚めた。
明日、一日干して出来上がりである。
その「死」は他の生命の「生」なのだ。
考えてみれば、どの植物も新芽の時間は短い。赤子が駆け足で子供になるのを見ているようである。他の生命に食べられてしまうのである。しかしながら食べることで他の生命は生きる。鯉とサギの関係でも言えることであるが、その「死」は他の生命の「生」なのだ。輪廻転生という言葉を思い出す。
2018年の動画である。庭の様子が全く違う。
母の大好きだった百日紅の新芽が一気に出た。枯れ木が一気に蘇ったようである。やがて赤い花がついて、長い間楽しませてくれる。花がついたら母の墓前に行ってこよう。
幹の部分には蔦が絡んでいるので、この木は面白みがある。今週末には落とした松の枝を細かくする。先日タケノコをさしあげた妻の友人に「きれいなツルバラ(ピエール・ド・ロンサール)」を頂けることになった。なんとも嬉しい物である。別な方にはコキアを頂いた。植物は通貨になるのである。
もう一回梅の消毒をすると梅干しが始まる。一年中休むときがない(笑)。
このページが参考になるのだ。来年は発酵させようっと。
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