デジタル市民大学構想(その1)書店をメタ書店大学にできないか?
6月11日に10年ぶりにマレーシアから日本へ帰国した。直前の6月10日にマレーシアからの帰国者の自宅隔離がなくなったため、アフターコロナの幕開けと同時に帰国した気がした。
マレーシアで10年間オンライン生活を送り、2015年からZoom革命を模索してきたのだけど、コロナでZoomが一般的になり、思い描いていたことの多くが実現した。話しても通じなかったことが、急に通じるようになった。
コロナ状況の中で、橘川幸夫さんと出会い、一緒に参加型社会の実現を模索した。コロナ状況の中で考えたことは、『出現する参加型社会』にまとめた。
アフターコロナが見えてきた今、次を模索したい。アフターコロナで教育、組織、社会がどのように構造転換していくのか、各分野、各地域で様々な取り組みをしている人たちと繋がりながら、一緒に考え、行動していきたい。
これから日本縦断ツアーを企画し、各地の想いを持って活動している
アフターコロナのキーワードは「ハイフレックス」
コロナによってオンライン化した世界が、徐々に対面活動を取り戻してきている。しかし、完全に元に戻るわけじゃない。リモートワークに最適化した生活も生まれている。だから、
ハイフレックス=対面とオンラインの好きな方を選ぶ
という参加形態が生まれてきている。しかし、この方法は、関わり方をデザインする人にとっては難易度が高い。単純に混ぜると、人間は存在感のある対面を優先し、オンラインを置き去りにしがちだからだ。
それを考慮して場をデザインする工夫を、様々な形でやってきた。同期で混ぜる工夫もあれば、時間差を作って非同期で混ぜる工夫もある。非同期で混ぜる可能性に気づいている人はほとんどいない。ここに大きな可能性がある。
対面とオンラインとを「いいとこ取り」するデザインが、当分の間、重要になってくるだろう。実際、企業研修や働き方などについて、そのような相談を受けることが多い。
21世紀型コミュニティとデジタルファシリテーション
対面とオンライン、同期と非同期に拡張したコミュニケーション環境におけるコミュニティ活動に名前を付けたいと思って、最近は、「21世紀型コミュニティ」と呼んでいる。
そのコミュニティ空間で「いいとこ取り」するようなコミュニティデザイン、プロセスデザインをするのがデジタルファシリテーターだ。
アフターコロナで花開く21世紀型コミュニティにおいて、教育、組織、社会がどのように再構成されていくのかを考えて実践していくのが、僕のこれから3年の仕事になるだろう。
帰国後、落ち着いたら、「デジタルファシリテーション研究所」を発足して、本格的に狼煙を上げていこうと思う。
デジタル市民大学構想
各地の居場所の良さと、多様な人に繋がれるオンラインの良さとを組み合わせる試みの一つとして「デジタル市民大学構想」を考えている。
この構想の背景には、量的拡大を目指した組織の時代から、質的充実を目指すコミュニティの時代への転換がある。
組織の時代の教育デザインとコミュニティの時代の学びのデザインとは異なるものになる。21世紀型コミュニティにおける学びのデザインとはどのようなものになるのか?という問いを立てて模索するのがデジタル市民大学だ。
組織の方法論とは、各専門領域に分割し、それぞれの分野での専門家を育て、それらを組み合わせてプロジェクトを組み上げるものだ。役割を定義し、決められたことを正確に実行することで、巨大プロジェクトを達成してきたのだ。
コミュニティの方法論とは、分割されている領域を混ぜ合わせて化学反応を起こすことだ。組織者の仮面をかぶったままでは化学反応が起こらないので、仮面を脱いで個人になって1対1のコミュニケーションを取ることからすべてが始まる。そこから生まれる新しい文化が、失われた30年間の閉塞感を打ち破るものになるだろう。
アフターコロナは、組織の方法論からコミュニティの方法論へと転換する「組織ーコミュニティ転換」のプロセスが中心になるだろう。そのプロセスは、以下の4ステップで考えている。
Step1 重ねる
Step2 混ぜる
Step3 学び合う
Step4 共創する
デジタル市民大学は、フリースクール、子ども食堂、古民家などの居場所、地域の書店・・・などをオンラインで相互に繋いだネットワークを作り、それらを基盤とした21世紀型コミュニティ活動の学びのデザインとして、実際に動かしながら構築したい。
メタ書店大学構想
出版は、印刷技術をベースに本を大量生産して配布する仕組みである。まさに、組織の方法論を中心にして展開してきたものだ。
著者ー編集者ー出版社ー書店ー読者の関係が分割されて組み合わさっている。
組織ーコミュニティ転換プロセスでは、分割された領域のあいだを、重ねる、混ぜる、学び合う、共創する、というステップで化学反応が起こるようにしていく。
個人と出版社のあいだに「参加型出版」が位置づけられる。
時代の中で考え、実践してきた個人から新しい芽が出てくるだろう。それをキャッチするのは、過去の書籍販売データではなく、同時代を生きている人の実感であり、その人たちの共感と応援によって出版される道筋が必要になる。
まさに、そのプロセスによって出版されたのが小説「ジミー」だ。
個人と書店とのあいだに位置づけられるのが、「シェア型書店」「自分書房」「キュレーションサービス」などになるだろう。
「田原書房」は、この領域におけるプロトタイプの一つである。
さて、そうすると、出版社ー書店のあいだというのもあるだろう。
僕は、ここに、「メタ書店大学」というカルチャーセンターのようなものを提案したいと思っている。
本が売れなくなったと言われて久しいが、書店は、本を売る場所ではなく、読者と著者を育て、文化が生まれるコミュニティの拠点になっていくのだと思う。
地域の書店は、地域の人だけをターゲットにすると、尖った企画をやりにくい。人が集まらないから。だから、ハイブリッドにして、21世紀型コミュニティに向けて尖った企画をやっていく。それを、通りがかりの人たちが見て、だんだんと巻き込まれていく。
出版社も、新刊を売るビジネスから、これまで出してきた書籍をテキストとして著者ネットワークを生かした講座をやるとよいと思う。それをオンラインだけでやると、すそ野が広がりにくいので、書店という居場所と連携してやると広がっていくだろう。
出版業界が斜陽産業だと言われて久しいが、組織の方法論をコミュニティの方法論へ転換することで、新しい価値を発見し、生まれ変わっていけるのではないだろうか。
出版関係の方の話をうかがって、一緒に考えたいと思うので、よかったらご連絡ください。
※日本帰国してから、天狼院書店土浦店に立ち寄ったら、かなり近い試みを天狼院書店がやっていた。こちらの方向性なんだろうなと確信した。