ぼやける記憶の中で、確かにあったこと
東京の喧騒の中で生きていると、東北で育った頃の記憶がぼやけていく。生きる世界線が近いようで遠い。
電車が1時間に1本のローカル線が走る地域で生まれ育ったこと。「震災」という言葉が良くも悪くも自分の人生を変えたこと。石巻や仙台で過ごした時間のこと。
東北で見た景色とは隔絶された世界で、一つ一つの記憶がぼやけていく。
映像は鮮明なのに、当時の心情にライドできなくなっていく。
多感な時期に東日本大震災を経験して、何を感じて生きていたのか。大学生になって仙台に出てからどんなことを考えて過ごしたのか。文字にすることはできる。
しかし、時間が経つごとに記憶の中にある感情の色はぼやけていく。
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くどうれいんさんの小説『氷柱の声』を読んだ。震災が起きた時、盛岡の高校生だった主人公が「震災」に対する咀嚼しきれない想いを人との出会い、時間の経過を通じて紡いでいく物語。
高校3年、美術部員の主人公・伊智花は震災直後に被災地の人々のために「希望を届ける」趣旨の絵を描くことになる。しかし、彼女は「内陸でほとんど被害を受けていない私が何を描くのもとても失礼な気がした」として絵のテーマについて苦悩する。
彼女が苦悩するストーリーは、まさに自分が10代から20代前半にかけて感じていた消化不良な感情がぴったりとはまるように言語化されていた。
学生の頃、「中間被災者」という言葉を聞いたことがある。宮城県の内陸部出身である自分はまさに中間被災者だった。被災はしたのは、中学校の卒業式の日。
激しい揺れは経験したが、沿岸部の石巻の高校に進学したら自分より遥かに壮絶な経験をしている人たちばかり。大した体験をしていない自分が「震災」をどう語っていいのか分からずにいた。
震災復興の最中で、被災地の情報をメディアとして伝える高校生団体を立ち上げた頃「被災地で頑張る高校生」として表舞台で取り上げられた。自ら目立ちに行った部分もあるし、そう虚像が造られた側面もある。
「自分たちは震災復興や地域のために頑張っている」とテレビ、ラジオ、新聞、ネットメディア、SNSに向かって言いながら、「本当にそうなのか?」という疑念が湧いてくる。
伊智花が仙台の大学へ進学後に出会う2歳下の学生「トーミ(冬海)」は、中学校の卒業式の日に被災したと回想する。つまり、トーミはあの日の自分と同じ体験をしている。
トーミはこんなことを言う。
「震災が起きてからずっと、人生がマイボールじゃない感じっていうか。ずっといい子ぶってたんじゃないかと思っちゃったんです。福島出身で、震災が起きて、人のために働こうと思って医師を目指す女。美しい努力、なんですよね」
完全に自分自身の物語だと思わせられてしまうような力がこの言葉にはあった。
あの日、10代だった登場人物たちが成長とともに震災について回顧し、咀嚼していく。
記憶がぼやけていくことに不安を感じていたが、それは「震災」に縛られる"マイボールじゃない感じ"が消えていくことでもある。必ずしも東北のためにならなくてもいいし、これから先も東京に居たっていい。それが、マイボールなのであれば。
大切なのは、ぼやけていく記憶の中でこんなことを「確かに感じていた」と偽ることなく言葉にすることだ。
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面識は全くないが、著者のくどうれいんさんは僕が通っていた大学・学部の一つ上の方らしい。というのを、2年前に知った。
主人公・伊智花が通う大学は架空の大学だが、明らかにくどうさんや自分がいた大学をモチーフにした描写がある。そのシーンを読んだとき、思わず、くすっと笑ってしまった。
また、北仙台のアパートで宅飲みする場面など、同じ時期に学生だったからこそ自分もほぼ同じ場所でこんな経験があったと思い出した。
それくらい、当時過ごしていた環境が近いとはいえ「自分は震災を語る資格がない」という想いに対して、こんなにも言語化された物語に出会うとは予想だにしていなかった。
確かにこんなことがあった。本を閉じ、渋谷の街を歩きながら、過去の記憶を噛み締めていた。
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