「わたしは怒っている」に思い出した自分が生きてきた過去のこと|ドラマ『虎に翼』を観て

関東では梅雨入りして、雨がちだった週末。周囲からよいと勧められていたNHKの朝ドラ『虎に翼』を最新回まで観た。

このドラマを観て自分は何を思いだしたのか。何を感じたのだろうか。

“女性の怒り”をポップに消費してしまっていた10代

小学生から中学生にかけての時代、怒れる女として叫ぶ姿が休日の昼下がりにテレビで放送されていた田嶋陽子さんのことを友達がモノマネして茶化していた。自分は何も知らず無邪気にそのモノマネを笑っていた。

中学2年のとき。S先生という50代の女性の教師がそんな自分たちを見て、田嶋陽子がいかにすごいのかと説明された気がする。そんな中でも自分たちは笑いながら右から左に受け流してしまった。

今となってはおぼろげな記憶でその話自体無かったような気もする。しかし、その先生からは決して教科書には載っていない世の中の現実・日本社会がいかにジェンダーギャップが縮まっていないかというのをときどき教えられた。

S先生が言っていたことを今さらながらに流さずすべて聞きたい。先生の若い頃の失敗話や世間知らずだった話も面白かったけれど、先生が30年教壇に立つ間に、一体どんなものを読み、どんなことを学んできたのか。あるいは、女性として生きる中で見えていた社会の話を。

今になって思えば、あの先生にも主人公の寅子さんのごとく「はて?」と思う現実がたくさんあったのではないか。

自分がいた中学校では、自分の学年ではじめて女性の生徒会長が誕生した。当時は、そのことがいかに転換点だったのか知る由もなく彼女が優秀だからリーダーになったのだと思っただけだった。いや、性別に関らず選ばれて当然だと思うのだけど。

2000年代末になってはじめて女性の生徒会長が生まれるくらいだから、どれだけ価値観の保守的な田舎で育ったのだろうと頭を抱える。

数年前に、生徒会長になった同級生のfacebookには「弁護士になった」という投稿を見かけた。

単純にドラマの話と重ねられるわけではないが、寅子と同じく法曹の道を選んだ彼女には何も考えていなかった自分とは全く異なる景色や疑問が見えていたのではないか。それは彼女のみが分かる境地ではあるが。

「怒るな」に透けて見える特権性

主人公の寅子は高等試験に合格した際の祝賀会で「わたしは怒っている」と言う。『虎に翼』では、幾度も「はて?」と疑問を抱き、怒りを打ち明ける寅子の姿に落ち着けと諌められたり、嘲笑がぶつけられたりする。

これを観ていて、他人事とは思えなかった。罪悪感で胸が割かれそうになった。

十数年前、中学生だった自分が、友人のモノマネを通してテレビから伝わってくる怒れる女性を笑ったように、『虎に翼』に描かれる時代から現代に至るまで、女性の怒りというものをポップに消費したり、怖いものとして避けようとしたりしできたのではないか。

女性は笑顔で、おしとやかでーー。そういう箱の中に規定して、入れてきたのでないだろうか。

ジェンダーに限らないが、怒りでは社会は変わらないと学生時代に思っていた。ソーシャルデザインという言葉がもてはやされていた時代ではあるが、変えるならポジティブにやれよと数々の学生団体や社会活動に思っていた。

しかし、それにさえどこか特権性を孕んでいるのではないか。自分が男性であるというカテゴライズをはじめ、少なくとも優位な場所から見ているからそんな呑気なことが言えたのではないか。「まあまあ怒るな」と。

『虎に翼』では寅子に対して常に楯を突くよねさんという女性がいる。男性性と女性性の性差に怒りを発し、何を言っても無駄と諦める女性たちにも「そんなんだからだめなんだ」と怒りをぶつけている。

まさによねさんのような、怒れる人を自分は敬遠してきたのだけど、やはり人生を重ねるうちに怒りを率直に伝えられる人の声こそ大切なのではないかと思うに至った。なぜなら、この社会にはそのまま怒りを届なければ変わらない、いや変えられないことが幾つも存在するから。

「がんばってもいい、がんばらなくてもいい」

最後に、自分は仲野太賀さんが演じる優三さんが大好きだ。優三さんが出征前に寅子に「がんばって夢中になっているのが好きだけど、よき母でもいい。また弁護士になってもいい。がんばらなくてもいい。寅ちゃんの好きなように生きて」と語りかけるシーンがある。その言葉に作家のジェーン・スーさんがPodcast『OVER THE SUN』で言っていた「女性には8通りの生き方がある」という言葉を思いだした。仕事、結婚、子供。

こうであれと規範を押しつけられていた時代の寅子には、優三さんの言葉がとてつもなく大きな救いだっただろう。

『虎に翼』はまさに8通りの生き方についてそれぞれの登場人物に投影している。志半ばで諦めていった仲間や女学校で親友で後に兄の妻となる花江との仲にも暗に表れている。

寅子は高等試験に合格して後の祝賀会で「怒っている」と口にしたと書いたが、それは日本で初めて女性弁護士になり、日本で一番賢いと記者から形容されたことに対して仲間や学ぶことのできなかった友人を思いだして、自分が一番だと言われることへの違和感として「怒っている」と言う。

ヒエラルキーをつくって登りつめたら“是”、そうでなければ“否”。あるいは働くならずっと働く、家庭に入るなら家庭でとそれぞれの全身全霊を役割として押しつけ、生き方によって境界をつくってきたのはマチズモがこびりつく社会ゆえではないのか。

優三さんの「どの生き方でもいい」と肯定した姿は、まさにマチズモのこびりついた社会への疑問“はて?”へのアンサーでもある。

80年前の出来事を現代を生きる自分にとってリアルな経験であると感じるのはなんとも複雑な心境だが、#60まで見て、社会と闘う聡明さと力強い寅子の視線に惹き込まれるストーリーだ。

オープニングの米津玄師の曲に合わせて流れるアニメーションの中で伊藤沙莉さんの力強く前を見つめる顔が、まさにその力強さが吹き込まれていると感じるので見てもらいたい。

足元を見つめれば、現代を生きる自分は小さな疑問にくよくよと悩んでいる様を「こじらせている」と自虐のように使ってしまう。

しかし、そんな風に自分の疑問を決めていいのか。自虐していいのか。もっと「はて?」と疑問に思っていいのではないか。寅子の疑問とそれに呼応するように変化していく周囲の人物たちのように、とひしひしと感じている今日この頃。

いいなと思ったら応援しよう!

木幡真人|masato kohata
いつも僕のnoteを読んでいただいてありがとうございます。スキ、コメント、サポートなどで応援していただけて励みになります。いただいた応援は大切に使わせていただきます。応援よろしくお願いします^^

この記事が参加している募集