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映画「ルックバック」を2回見て

(ネタばれ注意)


はじめに

 8月に映画「ルックバック」を見た。そして、9/22の今日、近所の映画館での上映が最後と知り、居ても立っても居られず、観に行った。人生で同じ映画を2回、映画館で見たのは、初めてだった。

 藤野、「絵なんて描くのが面倒だし、時間ばっかりかかる。描かずに読むだけにしといた方がいいよ。」
京本、「じゃあ、藤野ちゃんはなんで絵を描くの?」。

前半シーンでの印象

あらすじは、後半に載せています。まずは、感じたことを記します。

●同級生が「藤野の絵って普通だな」と言ったシーン。
 このシーンでは、同級生は悪意を持たずただ純粋な感情が口から零れ落ちていた。一方で、藤野の学校の帰り道のシーン。周囲の大人に絵がうまいことをほめられた回想の後、同級生の普通だなと言ったシーンが悪意でゆがめられて回想されている。こういった他人の何気ない一言を、自分の思いに沿うように歪めて、拡大して受けとってしまうことはあるよなと思った。

●たった一人でいい
 多く同級生にとっては、京本が出てきたときに、これまで燦然と光り輝いていた藤野の絵が、月並みの絵になった。本当は絵の上手い下手だって人それぞれだし、ストーリーが凄かったり、キャラが個性的だったりするわけだ。しかし、世間の強い価値観や判断軸に自信を失う。モノサシだって一つじゃないのに。しかし、そこに世間とは違ったモノサシで自分の作品を好きでいてくれる。そんなたった一人、自分の作品を受け取ってくれる人がいるだけで、創作を続ける理由になる。

●体が勝手に動くような感情
 京本に認められ、自分の衝動の蓋を取った藤野。抑え込んでいたものが爆発する。その感情は、頭では制御できず、言葉にもならず、ただ足と手の動き、顔の表情となって、表現される。本当に強い感情は、言葉にならずに体が勝手に動き出すようなものであることを再認識させられる。素晴らしいシーンでだった。

後半シーンでの印象

●好きなことに誰かと没頭する
 二人は、一年以上かけて45ページの漫画を描き切る。青春のすべてをこの45ページに捧げる姿は圧巻。僕も高校の幼馴染がいる。その幼馴染と、何時間でも喫茶店で水ばかり飲んで語り合ったり、車で全国の古着屋を巡ったり、下手なギターと歌で路上ライブをやったり、バックパック背負って海外に行ったりしたことを思い出した。二人居れば何も怖くなく、ありのままの自分で居られ、何もかもが分かり合えた感覚。そんな関係って尊いものだったんだと思った。

●誰かの空白を想像で埋める
 京本の死に対し、自分を責める藤野。しかし、京本が本当にそう思っていたのか。むしろ、死ぬことになったとしても、外の世界で藤野と過ごしたときを持てたことが京本の幸せだったのかもしれない。
 死という結果を目の当たりにし、その因果を求めたくなる気持ちはよくわかる。ただ、スクリーンの前で客観的にみている私には、藤野の考えは全く違っているように思えた。それを伝えたいが、藤野は自分で気づくしかない。意味のないものに意味を付ける、または理解不能な状況において、理性的ではないストーリーを求めてしまう人間の悲哀性を感じた。

●藤野が絵を描く理由
 藤野が京本に「絵なんて描くのが面倒だし、時間ばっかりかかる。描かずに読むだけにしといた方がいいよ。」と言う。京本は、「じゃあ、藤野ちゃんはなんで絵を描くの?」。
 映画ではこの問いに対し、明確に言葉での回答はなかった。ただし、答えは「京本の喜ぶ顔が見たいから。」だと思う。売れっ子作家になった藤野であるが、心の底から自分の作品を愛し、楽しんでくれる京本のために藤野は書き続けたんだと思う。そして、京本が死んだあとも、描くことで京本や京本と過ごした日々とつながり続ける決心をしたんだと思う。たった一人の受け取り手がいるだけで、強い創造する理由になる。
 自分がいいと思ったものは、世間がどう言おうが、いいって大きな声で伝えたいと思ったし、自分のつたないもの(このnoteみたいな)も、誰か一人でもいいって言ってくれたら、それだけでやる意味あるなと思った。

(前半あらすじ)

 主人公藤野は、絵を描くことを周囲の大人や同級生に認められ、絵に対する隠しきれない自信を持つ小学4年生。学級新聞に4コマの連載を2枠持つ。

 もう一人の主人公の京本は、人が怖くなり、登校拒否で引き込こもりの違うクラスの同級生。しかし、藤野の4コマ漫画に刺激を受け、自身も背景画を中心に絵を描き始める。

 あるとき、京本からの要請で、学級新聞の4コマ漫画の1枠を京本に譲ってほしいと先生を介して、頼まれる藤野。引きこもりが書けるほど、甘くないと断ずる藤野。

 結果、一枠譲り、京本の作品の載った学級新聞が配られる。そこには藤野の作品を上回る画力で、学校の放課後の様子を描いた京本の作品があり、クラスはそのうまさに騒然となる。

 今まで藤野の絵を絶賛していた同級生が何気なく、「藤野の絵って、京本と比べると普通だな。」とつぶやく。

 学校からの帰り道、自分の矜持だった絵で敗北感を味わった藤野は、京本は学校に行っていない間に絵の練習をしているんだと思い、自身も絵を練習するため、骨格標本を買い込み練習する。うまくなるためには、とにかく描け、バカ!を信じて、友人や家族との時間も顧みずひたすら絵を描く藤野。

 2年がたち、ある日友人が、絵に没頭し付き合いのなくなった藤野に対し、「いつまで絵をかくの?中学校でも書いていたらオタクと思われちゃうよ。」と言う。
 その後、家で姉は「父さんと母さんが絵ばっかり描いているのを心配している。テストの結果も良くなくなったし。」と。

 ある意味、中学校で友達を作り、青春を謳歌すること、家族で団らんの時を過ごし、テストでいい点を取ること、が正解で、人と会話もせず、絵ばかり描くことは、間違っていると突きつけられる。
 そんな中、藤野の糸は切れる。絵を描くことをきっぱりやめた。

 その後は、友人と遊ぶことを再開し、家族との団らんの時も戻った。

 卒業式。先生の最後の頼みを受け、同じ学級新聞の連載をしていた京本に卒業証書を渡しに行く。廊下にはスケッチブックの山。藤野は京本の練習のすさまじさに驚いたはずだ(声を出さない)。

 そこで、「藤野先生のファンです。藤野先生は天才です。」と自分の作品を心から称賛する京本に出会う。

 あなたは間違っちゃいない。素晴らしい作品を書いている。私はあなたの作品が好きだ。周囲の声に一旦、自分自身に蓋をした情熱。その蓋を開いた京本の言葉に、言葉にならなず、身体が勝手に動くような感情を持つ藤野(映画の名シーン)。

後半あらすじ

 二人は、作品コンクールに中学生で出品。見事、賞を獲得し、100万円を手にする。そのお金で、街へ遊びに行く、藤野と京本。京本は、藤野に手を引かれながら、藤野の背中を見る。家を出てよかった。藤野に感謝をする京本。

 高校卒業間近、読み切りで7作執筆した藤本と京本は、出版社から連載を持ちかけられる。嬉しい表情の藤本と異なり、京本は複雑な表情。
 その後、京本は美大に行くから手伝えないと宣言。藤野に頼らず生きてみたいという希望。藤野は、自分とやれば何もかもうまくいくのにと言いつつ、二人は別の道を歩む。藤野はシャークキックという漫画の連載を始める。

 京本死ぬ。

 京本が死に、実家に行く。京本を外に出すきっかけとなった4コマ漫画がふと目に入る。

 「京本を殺したのは私だ。私が4コマを書かなければ。なんの役にも立たないのに。」

 意味のないことに意味を生じさせ、自作自演で責め立てる藤野。

 結局二人は出会い、そして絵をともに描くことを連想させらるパラレルワールドの描写。

 藤野は、京本の部屋に入る。その部屋の中には、藤野のシャークキックの単行本やジャンプの山。別の道を歩んだ後も、一番のファンであり続けていたことを知る藤野。

 藤野は、現場に戻り、執筆をつづける。

最後に

 映画を見終わってから、1時間52分後にこれを書き終えます。構成や文体や言葉が支離滅裂かもしれませんが、この熱を文字で刻んでおきたいと思います。

 アニメ映画で最も心に残る作品になりました。おやすみなさい。





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