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明治天誅組 その① 渋沢栄一モノローグ

午後九時半、渋沢栄一は、閉会を宣言した。

その夜、東京銀行集会(現在の全国銀行協会)の臨時会が開かれていた。

明治十五年四月八日。

場所は、東京銀座に近い木挽町商法会議所。

三十二の銀行の代表、三十四人が集まっている。

午後六時に開会された例会はすんなりとはまとまらなかった。

議題は、商法講習所(後の東京商業学校、現一橋大学)への寄付金割合の決定であった。

第一国立銀行頭取である議長の渋沢は、各銀行の出資金に職員人数を考慮した金額を、それぞれの銀行の寄付金額として提示していた。

今後の日本経済の発展には人材の育成が不可欠。商法や会計、経済の専門家の養成は不可欠だとの信念を渋沢は持っていた。

が、様々の理由をつけて寄付を渋る銀行が多かった。

結果的に、いくつかの銀行については事情を斟酌して減額を認めることになった。

この会合に、出席すらしていない銀行もあった。なかでも七行は無届での欠席だ。

それらの銀行と個別に交渉しないといけないと思うと、渋沢は憂鬱だった。

テーブルの奥、右側の席に壬午(じんご)銀行の代表の男が座っていた。

会議が終わると、男は机の書類を黒革の鞄に丁寧に納め、席をたって出ていく。

背の高い男だ。洋服を着ている。

その姿を渋沢は目で追った。

あの男だなと。

今夜、渋沢は初めてその男が話すのを聞いた。

会うのは初めてではない。

男は、明治十四年から東京株式取引所(現東京証券取引所)の株主として株主総会に出ていた。渋沢は東京株式取引所の発起人代表だ。何度も株主総会で同席している。

議題への「同意」の発言程度は聞いたことがあったが、男は株主総会では、それ以上の発言をすることはなかった。

この夜、男は壬午銀行の事情をやや詳しく語り、寄付金の減額を要請したのだ。

「壬午銀行では、商法講習所の設立にはなんとしても協力させていただきたいと考えております。ですが、弊行は先月七日に設立したばかりで、未だ資本金の払い込み手続きも完了しておりません。このような事情で、寄付金は二十五円とさせていただきたい」

壬午銀行への寄付金額は百円が提示されていた。それを四分の一に減額する提案を、男はきれいな東京の言葉で語った。

男が壬午銀行の何の役職についているかは、わからなかった。銀行集会には必ずしも社長や頭取、役員が出席するとも決まってはいなかった。

男は、いうべきことを落ち着いて発言し、議長の自分を見つめた。

その目には何の押し付けも、哀願の素振りもなかった。が、どうだ、これで十分に納得していただくことができるだろうという、ある種の自信が感じられた。

渋沢は男の提案にうなずかざるを得なかったが、特に敗北感も感じなかった。


男が退席するのを見ながら、渋沢は思い出していた。

あの男、すなわち、野村潤次郎に関わる話だ。

東京株式取引所の株式は、取引所の開業以来、上場銘柄として売買が可能となっている。もとより株式市場の振興のためだ。ただし、買い占めに会うようなことがあってはならない。渋沢は市場で株を購入する株主を常時点検していた。

野村潤次郎の名前は明治十四年、突然、株主名簿に登録された。株式は市場で購入されたものだった。

渋沢らは、野村の素性を可能な限り集めた。しかし、わかったことは、どうやら大隈重信の関係者ということのみだった。それ以外はまったく情報がなかった。

大隈重信に会った際、直接、野村について聞いてみたことがあった。

渋沢は明治六年、官僚を辞し野に下った際、大隈と袂をわかったといわれたが、その後も交流は続いていた。

「野村、野村潤次郎か。いや、奴はいろんな名前があってな・・・」

大隈は面白そうに語った。

「実は北畠治房の手の者だ」

北畠治房は自他共に認める、大隈の懐刀だ。

そして幕末、大和で代官所を襲った天誅組の生き残りとして有名だ。

「野村は東京の生まれらしいが、どうやら北畠と同様、天誅組の生き残りらしい。維新後は、西国で密偵をしていたという噂もある。いろんな名前使って生きているという」

大隈は、野村のいくつかの変名を挙げた。

「実は私にとっても、謎の男なのだ。詳しいことは知らん」


渋沢は四十を過ぎた現在は、財界の中心人物として活動しているが、幕末、江戸や出身地の武蔵血洗島で志士として活動していた。

文久三年秋、横浜の居留地を襲う企てを計画していたところに、京から仲間の尾高長七郎が帰郷した。そして、天誅組がわずか四十日で壊滅したことを知った。幕府はまだまだ強大で、草莽の志士が立ち上がったところで及ぶべくもないことを渋沢たちは知ったのだ。

挙兵を断念した渋沢は、従弟の渋沢喜作とともに京へのぼり、縁あって一橋家に仕官した。

そして、最後の将軍となった一橋慶喜の弟に随行して、フランスへ渡航。

帰国した時には幕府は崩壊していていた。

明治になって、渋沢がフランスで学んだ経済の知識と情熱が、彼を財界の大立者に押し上げた。

幕末の渋沢栄一

渋沢栄一は、野村潤次郎を追って会議室を出た。

野村は廊下をゆっくり歩いて、階段を下っていく。

壬午銀行は、立憲改進党に関係がある。大隈重信が設立しようとしている立憲改進党。壬午銀行はその資金調達のために設立したと噂されている。

おそらく、大隈とその配下の北畠治房との縁で、あの男は壬午銀行の関係者となっているのだろう。

野村は細身の長身をグレイの洋服に包んでいる。銀行集会出席者の七割はまだ和装だ。

その中、野村は洋行帰りのように、洋服を見事に着こなしていた。


玄関のホールに降りたところで、追いついた。

「野村さん」

後ろから声をかけると、野村は、ゆっくりと気配をうかがうように身体全体で振り向いた。

渋沢を見ると、少し小腰をかがめるようにして、視線を合わせた。

端正な顔。切れ長の目。電球の明かりで顔は青白く見えた。

「これは、渋沢先生」

野村は、儀礼的な笑顔を浮かべた。が、笑顔は顔の下半分で、目は笑っていなかった。

七三に分けた男の前髪は、ややウェーブがかかっていた。すそは刈り上げられていたが、少し白いものが混じりつつある。一見、若くは見えるが、すでに年齢は四十半ばのようだ。

男の大きな目の瞳孔は、静かに渋沢を見下ろしていた。

やや灰色がかったその眼は、静かで冷ややかだった。

決して渋沢を見下したり揶揄しているのではなく、ただただ冷たい目だった。

渋沢はそのような目をどこかで見たような気がした。

「大変、ぶしつけな話だが、あなたについて聞いたことがあります」

渋沢は、できるだけ丁寧に、ゆっくりと話した。

「天誅組の参加者であったと」

野村は何の反応もみせなかった。

「ご承知かどうか、文久三年の秋、私と仲間も挙兵しようとしていた。横浜の外国人居留地を襲おうとしたのです。当時は私も攘夷派だった」

男は渋沢を見つめたまま、わずかにうなずいた。

「だが、天誅組が討伐されたことを聞いて挙兵をあきらめた。そういう意味で、天誅組は私たちを救ったのかもしれない。これまでも、そのように思っていたのです」

男はもう一度うなずいた。

「ですので、食事でもしながら、天誅組のお話を聞かせてもらえないかと」

男は少しの間だが答えを考えていたようだった。しかし、静かにこういった。

「当時の私は、単なる軽輩の者。お話するようなことは何もございません」

交渉する余地もない、断定的な回答だった。

しかし、男は一息おいて続けた。

「ただ、渋沢先生が、天誅組を知っていただいていた。それだけは心にとどめておかせていただきます」

野村潤次郎は丁寧に頭をさげて辞去した。最後まで、その眼は静かで冷たかった。


渋沢は、野村が出て行った玄関の扉が揺れているのを見ながら、考えていた。

幕末、あのような眼をみたことがあった。

慶応二年、渋沢は新選組の土方歳三に出会った。

京で、陸軍奉行の配下にあったとき、ある幕臣の捕縛を命じられた。

その際、新選組の助力を得たのだ。

そう、新選組の土方。土方歳三もまた、あのような眼をしていた・・・。

それは、幾多の修羅場を、殺人刀の下をかいくぐってきた者だけが持つ眼だった。

野村は天誅組を逃れた後、北畠治房の下で密偵をしていたという。

明治になってから、二卿事件や佐賀の乱、西南戦争ごろまで西国の情勢を探査していたらしい。すべて、噂にすぎないが。

が、おそらくは、その経歴が野村をあのような眼にしているに違いなかった。

誘いをことわられたのだが、渋沢は不快とは思わなかった。

むしろ、幕末の風雲を生き延びてきた者として、ある種の共感を感じた。

世の中には話したくても話せない事情があることも分かっている。

そのような事情を、渋沢もたくさん持っている。

玄関の扉を開けて表へ出た。街灯の明かりが街を照らしていた。

野村潤次郎の姿は雑踏の中に消えていた。

渋沢は思った。

野村は、天誅組では「西田仁兵衛」と名乗っていたという。

あの男は今、この東京の街で、どのように生きているのだろうか。

そして、この先、どんな名前で、どのように生きていくのだろうかと。

(続く)


突然、小説風に、明治の東京に、天誅組の西田仁兵衛を登場させてしまいました。西田仁兵衛は天誅組の「謎の男」です。

次回以降、史論的に明治の西田仁兵衛の足跡をたどりたいと考えています。

明治後、野村潤次郎と名乗っていたらしい西田の新たな情報を、いくつか見つけることが出来ました。

それを、ご紹介していきます。

写真出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)

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