文学フリマ東京39で本を販売します。 12月1日、東京ビックサイトで開催される文学フリマで本を売ります。 歴史に、天誅組にご興味のあるかた、ご縁のあるかた、お立ち寄りください。 今回は小説(エンタメ、大衆小説)で出店します。 出店場所、う-07です。 <新作>「南山踏雲録 対訳」(実録) (A5 65ぺージ) 「大和日記 対訳」(実録) (A5 56ぺージ ) 「天誅組討幕考~その他の論考」(史論) (A5 65ぺージ ) 「天誅組外伝~江戸から来た男」(小
大和日記は天誅組の実録です。 天誅組の中山忠光主従七人が、長州へ逃れる途中、船上で執筆されたと言われています。 土佐藩出身の土方久元・直行が編集した大和日記(以下、「土方版」と称します)には、こうあります。 右大和日記一巻ハ半田紋吉(門吉)ノ筆ナリ 君ラ諸士中山忠光朝臣ヲ奉ジ大和ヲ脱出シ大坂長州藩邸ニ入ル 幕吏之ヲ物色スルコト太急ナリ 乃チ潜ニ舩ニ乗シテ長州ニ奔ル 其舩中相謀リテ兵記ヲ作ル 君文ヲ善クスルノ故ヲ以テ其労ヲ執レリ ちなみにこのとき船上にいたメンバーは以下の
九月十四日、NPO法人維新の魁・天誅組主催のさきがけ塾の講師をさせていただきました。 まだまだ暑い中、四十名を越える方々にお集まりいただき、 『「大和日記」の変遷と「謎の男」西田仁兵衛の行方』 と題したお話をさせていただきました。 本当にありがとうございました。 これまで調べてきたことなど、天誅組についていろいろ語らせていただきました。 とても楽しい時間でした。 時間が余ってしまうことが不安で、かなりの分量をレジメ・スライドともに用意していたのですが、むしろ時間
毎年、夏には天誅組挙兵の日程に合わせた連載を行っています。 天誅組が大和五條の幕府代官所を襲撃したのは文久三年八月十七日。 そして、東吉野村の鷲家口の最後の戦いで壊滅するのが、九月二十四日。 おおよそ四十日間の活動でした。 今年は、天誅組の挙兵スケジュールにあわせて、南山踏雲録を読んでいます。 南山踏雲録は天誅組記録方の伴林光平が、捕縛直後、奈良奉行所で執筆しました。同じく天誅組志士が書いた大和日記と並ぶ、天誅組の実録です。 かの司馬遼太郎は、南山踏雲録について次のよう
8月12日、東京ビックサイトで開催されるコミックマーケットで本を売ります。 ご興味のあるかた、ご縁のあるかた、天誅組オタクのかた(私です)、是非、お立ち寄りください。 「江戸の天誅組」東ヌ10bです。 「天誅組外伝~江戸から来た男」 ( A5 93ページ ) 「江戸の天誅組」 ( A5 184ぺージ ) 「大和日記 対訳」 (A5 50ぺージ ) 「天誅組倒幕考~その他の論考」 ( A5 65ぺージ )
文学フリマ東京38に出店します。 2024/5/19(日)12:00〜17:00 東京流通センター(東京モノレール「流通センター」すぐ) 私のブース「江戸の天誅組」は「第一展示場 Gー25」です。 今回から、文学フリマは入場料1,000円となりました。 が、1,000円に足る価値は十分にあります。是非、足をお運びください。 そして、もし、よろしければ私のブースにお立ち寄りいただけましたら幸いです。 #幕末 #天誅組 #維新の魁 #西田仁兵衛 #神代仁之助 #天保高殿 #歴
(2023年10月22日から11月15日、インスタグラムで連載しました。) 壱 龍馬モノローグ 慶応三年十一月。早朝。京。 木屋町三条、酢屋の店先に、大男が現れる。 くたびれた着物。桔梗紋。革靴。 大きく伸びをして、通りを眺めわたし、肩をゆすって歩き出す。 坂本龍馬である。 大政奉還は先月の十四日。もう、半月前になる。 大政奉還への道筋を、表に後藤象二郎を使いつつあるときは黒幕的に、またあるときは永井尚宗等幕臣らへの説得役として前面にでて推し進めたのは龍馬であった。 「
(本稿は、インスタグラムで2023年4月24日から4月27日に掲載したものを取りまとめ、再掲載したものです。) 1.信太歌之助という男 信太歌之助を知ったのは山岡鉄舟について調べていた頃だった。 ネットに掲載されていたブログに、『剣のこころ- 勝海舟と直心影』の一部が引用されていたのだ。この本の著者は、直心影流の十八代並木靖。 現在は国会図書館の電子サイトで閲覧が可能だ。 『剣のこころ- 勝海舟と直心影流』 並木靖 すずらん書房 昭和54年 引用されていたのは以下の
(本稿は、インスタグラムで2023年6月25日から7月14日に掲載したものを取りまとめ、再掲載したものです。) 大和日記(大和戦争日記)は、天誅組が壊滅した直後に書かれた天誅組の始末記です。 天誅組幹部 、久留米出身の半田門吉が長州へ脱出する途上、船の上で書いたと伝えられています。 その時、船上には、天誅組を逃れた以下の七名がいました。 中山 忠光 公家 主将 上田 宗児 土佐 槍一番組長 伊吹 周吉(石田 英吉) 土佐 伍長 嶋 浪間 土佐 砲一番組 半田
朔平門外の変は、文久三年(1863年)五月、即時攘夷派の公卿である姉小路公知が暗殺された事件です。今もって犯人は特定されず、幕末最大のミステリーとして語り継がれています。本稿は、この事件を天誅組騒乱の遠因の一つとして位置付けた私の仮説を、小説にしたものです。 文久三年五月。京、錦小路の薩摩藩邸。 益満休之助は庭に面した廊下に座っていた。 庭には、浪士風の男が一人。片膝をついて座っている。 「高殿、仕事だ」 「はい」 「姉小路公知公が、先般、大坂湾で幕府海軍の巡視を
(本稿は、インスタグラムで2023年3月12日から14日に掲載したものを取りまとめ、再掲載したものです。) 討幕の魁(さきがけ)とされる天誅組。 実は討幕を目指したものではなかったという説が、既に史学上一般化しているという。 それら学説を概観してみた。 なお、専門の史学者ではないわたしの概観ですので、ご意見ご批判、大歓迎です。 議論のたたき台にでもなれば幸いです 1.史学上の天誅組の位置づけ まず、「明治史講義【テーマ篇】小林和幸編 第1講 開国と尊王攘夷運動~国是の模