サスティナビリティとは、どこからきて、どこにいくのかを思考し表現し続ける能力でもある。
ヘルシンキには無事ついたの?
思いの外noteを見てくれている人が多くメッセージがちらほら。確かに前回の記事のなかで、結論がどうなったのかについて核心にふれていないが、奇跡的にフライトには間に合い(ヨーロッパにおいてはそれが普通なのかもしれないが)なにもなかったかのようにヘルシンキでの時間を楽しんでいる。
とはいえ、空港には1h前に行っておくことはオススメする。僕の場合は以前アメリカ西海岸からセドナに行った帰りにラスベガスの空港で、かなりの早朝フライトだったので何時間も前に空港に向かい、チェックインも済ませてゲートの前で眠りながらスタンバイしていたら、目覚めた時には飛び立ってたことがあり、そのことは今も忘れられたものではない。その時の滞在が長かったからか、生まれて初めて無意識に「Oh my god!!!」と本気の英語で叫んだことを今でも覚えている。しかも3回くらい。いずれにしても、フライトには注意しろという自戒の念としてここで留めておく。
さて本題へ戻ろう。
ヘルシンキは世界で最もコーヒーの消費量が多い国だということをご存知だろうか?そして、僕がこの地に来たのは、北欧最大級とも言われているヘルシンキコーヒーフェスティバルに招待されたからだ。
僕はいくつかの会社を経営しているが、コーヒービジネスにはとても大きな可能性を感じている。何についての可能性か、そして、それがどんなことを意味するのかについては、また今度書くことにするが、コーヒービジネスを展開している以上、日本を中心に事業を発想して進めていくということ自体に無理があると思っている。それは、日本に来たことがない外国人が日本茶の事業を追求しているようなものだ。それでは、あまりにもコンテクストがなさすぎて、アンコの入ってないアンパンを食べてくださいと言ってるのとおおよそ同じことである。中身のないルックス・ライク・アン・アンパンを、パンにゴマがかかっていてそれっぽく見えるだけでアンパンとして定義し、黒ごまか、白ごまか、それとも他の何をかけようか?と追求しているのようなものだ。本来は中に入っているあんこの種類を、一目で認知するためのゴマでしかないことを忘れていないだろうか?美味しければいいということでは、こっちもあっちも長続きはしないと僕は思っている。
どこからきて、どこにいくのか。
ヘルシンキコーヒーフェスティバルのコンテンツの核となるコンセプトはサスティナブルだ。プログラムのあらゆるところにサスティナブルという言葉がある。これは、コーヒー業界だけではなく、これから世界のトレンドとして更にフォーカスされていく、いやフォーカスしていく必要性もありその方があらゆる楽しさが続いていく大切なコンセプトだ。そしてここであえて触れておくが、僕自身はサスティナブルなビジネスを大量生産することが生きる目的であり、それが人間生活革命の本体だ。今日はここまでにしておく。