見出し画像

新卒で入社した集団塾は想像以上に激務だった・・・っていう話

こんにちは。
初めての投稿になります。
今回は、日本でサラリーマンとしてバリバリ働いていた僕が、
「海外で生活したい!」という夢が捨てきれず、
思い切って海外で生活してみたら、とても充実した生活を送ることができたので、その一部始終を最初からお話ししたいと思います。

大学を卒業して集団塾に就職

僕は、高校生の時に
「将来は英語の先生になりたい!」という夢があり、大学では教職を履修、アルバイトで塾講師をしていました。ただ、教育実習で実際の教育現場を見て挫折・・・就活することを決意。いくつか内定をもらい、地元の集団塾に就職をしました。その当時で地元に10校舎ほどある、そこそこ知られた塾でした。

いざ入社!ゴールデンウイークは無くなった・・・・

僕はゴールデンウィーク明けに授業デビューが決まっていました。
集団塾では、まず教室長ではなく、教員としてデビューをします。入社して研修を行った後、教壇に立ちます。個別指導塾でアルバイトとして指導経験はあったものの、学校の先生のような一斉の授業は初めてでした。研修では、僕が模擬授業を行い、研修は上司が生徒役を演じます。フィードバックの中で、声の大きさや抑揚、話すスピード、立ち位置、ジェスチャー、板書の仕方など徹底的に教え込まれます。
「連休はどうするの?1人で練習するよね?それなら家の近くの校舎のカギを渡すよ」
とプレッシャーをかけられて、休まず練習をしてました…。

英語教員として授業デビュー、1年目の「できる!」は幻

いざ授業をしてみると、ダメダメでした。ただ、「最低3年はかかる、最初からできる人はいない」というマインドだったので落ち込まず、ただ、しっかりと反省をして全力でやり続けました。

地獄の夏期講習

朝から晩まで授業を行い、1日の中で校舎を転々とします。睡眠時間は数時間程度、休みは週に1日あるかないかレベルでした。校舎を移動注意食事をとり、移動時間が休憩時間という感覚でした。僕は当時実家に住んでいたので、車で1時間の校舎に出社をして、そこからさらに移動していたので、帰りは2時間ほどかかることもありました。帰る時間がもったいないので、出社する校舎の近くでホテルをとったり、帰る時間をするために高速道路をつかったりして睡眠時間を確保することに専念していました。ホテル代、高速代はもちろん自腹でした。

2年目は可もなく不可もなし

1年教員として授業を行ったことで、2年目も教える内容は同じなのである程度頭に入っていたこともあり、慣れてきました。

先輩が辞めた、後輩が辞めた・・・①

社員が辞めることは普通に起きます。ただ私のエリアでは10名ちょっとのメンバーで、新卒が1名も入社しない年もあるような状況なので、2名以上が急に居なくなることは大変でした。

3年目は順調

3年目になると、余裕ができて滞ることなく授業を行うことができました。そんな中で、「自分の校舎を持ちたい!」という気持ちも芽生えてきました。

校舎が消えた・・・①

生徒の高校受験が落ち着いた3月、突然2校舎の閉校が決まりました。
「少子化だし、塾は競争率激しいからな~」という軽い気持ちでした。

4年目は校舎運営を意識

教員もやりがいはありますが、生徒との信頼関係は、やはり教室長には勝てません。教室長になるためには、上司からの評価によって、なれるorなれないが決まりますので、授業を一生懸命やるとともに、生徒対応や保護者対応も意識をして行いました。

先輩が辞めた、後輩が辞めた・・・②

3名退職されました。メンバーがどんどん減ってしまう危機感を感じました。

校舎が消えた・・・②

3校舎の閉校が決まりました。メンバーが減りましたが、校舎も減ったことにより、人員確保も特にせず、現状のメンバーだけで運営はできていました。

5年目に校舎長デビュー

本校の校舎長を任さられることになりました。
教員時代にできなかったこと、校舎長を見ていてやってみたいと思っていたことなどなど、毎日が新鮮でした。もちろん、自校舎で教員をやりながら教室運営業務も並行して行うので、忙しくなりましたが、充実していました。

運転中に居眠り、事故を起こす

日々教室長として充実した生活をしていた矢先、夏期講習中での出来事でした。授業を行う校舎へ移動中、信号待ちの際に、睡眠不足から、寝てしまい気が付いたら追突をしていました。正直に言うと、2年目の時にも同じようなことが起きていましたが、その時は幸いなことに大事には至りませんでした。

転職を意識し始める

前途に述べた事故もそうですが、社員が立て続けに辞めていく、校舎が減っていくことに対して会社に対する不信感は3年目ごろからありました。ただ、「なかなか踏み切れない、目の前には勉強に困っている生徒がいる、僕を必要としている生徒がいる、その後ろには保護者様がいる、教室長になりたい」という思いから辞めずに続けていました。

大学時代のアルバイト先からスカウトの連絡

とある個別指導塾の教室長より、「うちで働かない?」と連絡が来ました。就職してからは一度も連絡をしていなかったので実に約5年ぶり!連絡がきたこともそうですが、転職を考え始めたタイミングだったのでびっくりしました。

退職を決意

入社して5年目、校舎長になって1年目の8月に9月末での退職を決意しました。自分の校舎は、4月から4か月で、生徒数を70名→100名まで増やし、順調だと思っていましたが、年度末での閉校も決まりました。年度の途中で退職することは、教育業界では非常に無責任でタブーだという認識もありますが、新しい職場でのキャリアアップに向けての決断でした。

おわりに

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
集団塾での出来事はここで終了です。非常に厳しくて大変な職場でしたが、ここでの経験が、次の個別指導塾での数多くの実績につながります。次はそちらについて投稿します。
集団塾へ就職を考えている方、現在働いている方、退職された方など、
ぜひフォロー、コメント、いいねよろしくお願いします。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集