気持ちこめんと何もならんぞ。
根性。気持ち。
近年、根性論とかそういう部類の言葉がかなり嫌がられる。
根性って?
効率良く。データ解析。科学的。最新技術。
もちろん、私もこれらには興味は物凄くあるし、全てを上手く利用して取り組みたい。
数年前のオリンピックやスポーツでは、根性論がかなり嫌煙されて、上記の事が取り上げられていた覚えがある。
最近は、それが少し落ち着いてきているイメージ。
そして、先日のオリンピックで良く聞いた言葉。
“最後は気持ちでした。”
そうだよ。
スポーツを楽しみたい気持ち。ゲームを楽しみたい。相手と戦いたい。勝ちたい。何かしらの結果を残したい。
気持ち。
気持ちがあって初めて動き、身になり力になり全てが自分のものになる。
野球選手もインタビューで良く言います。
“最後は気持ちでした。”
それって根性論と似てないか?
気持ちって見えない物であり、表現して初めて他者に見えてくる物。
根性論もそれに近い気がする。
言葉では言えないけど、最後は根性で。みたいな。
選手は、色々な最先端を取り入れて自分のスタイルを確立して、そこに量を加えている。
一般的なスポーツをあまりしていない人は、量は敵だ。と考えてしまう場合がある。
特に若い世代へは、量は敵になる場合もある。
自分の限界値。
これが何度でも出せて、わかった場合それは“質”になり、他者の限界値や効率等は関係なく自分自身の最高の値になる。
それを数多く出来れば良いし、やれば良い。
そうすると、身体は壊れるかその限界値へ適応して次なる限界値がくる。
そして、それをやるのも何が最初無いといけないか?
“気持ち”です。
やりたいという気持ち。
やりたいという、目標を達成したいという気持ち。それが突き動かして、キツい事をクリアする継続する力になる。
どうでしょうか?
これは、根性に似ていませんか?
自分より速い人とマラソンのトレーニングへ行った。速い人は、前に出て少しずつスピードを上げる。自分は、ギリギリ着いていくが次第に遅れていく。だが、少しでも離されないように我慢して自分の限界値のペースを維持して、速い人が振り向いた時に、涎垂らしながら汗だくでフラフラになりながらも走り続けている。
これを見て、気持ちが強いな。と思うのか?根性あるな。と思うのか。
どちらにせよ、気持ちが無ければ困難は越えられない。そして、量もこなせない。
その気持ちはどこに向いているのか?
スポーツしたくない気持ち?
スポーツしたい気持ち?
スポーツで自分の目標を達成したい気持ち?
気持ちがどこに向いているのか。
“最後は気持ちでした。”
金メダリストも日本代表選手でも言う“最後は気持ちでした”
根性論が気持ち論に変わり、言葉ではなくその人の行動でしか表せない。
それが“気持ち”ですね。
何事にも、気持ちを込めて。