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仏教に学ぶ生き方、考え方「幸せのカタチとはいったいどんなものなのか?」
皆さんそれぞれの「幸せのカタチ」があると思います。
こういうことがあったりできたりしたら幸せだなと感じて、それに向かって「努力」をするわけです。
また願いがかなったり思い通りになったりしたときは、「それこそが幸せ」と感じるはずです。
確かに願いが叶うとき、それは強烈な「成功体験」として記憶に刻まれるでしょうし、羨望や喝采を浴びて人も「集まって」きます。
幸せの「真ん中」にいるような実感も持てるでしょう。
でもそれは長く「続く」ものなのでしょうか?
願いがかなった状況もやがては「慣れて」いき、それがあることが徐々に「当たり前」になってきます。
そして「感謝の心」をいつしか忘れ、さらにもっと求めたり、その状況にあぐらを搔いたりしてしまうものです。
そしていつしかそれが失われるとき、大きな「喪失感」と悲しみが大きな波となってやってきます。
そうなってから、あれこれ考えてももう手遅れです。
そしてきっとこう考えるでしょう。
実は幸せを手に入れようとしていた「あの頃」が一番幸せだった事に気付かされるのです。
実は幸せのカタチは「無い」か「儚いもの」であると言えます。
それをあたかも「存在する」ことのように感じて、迷い苦しむのが我が凡夫ということなのかもしれません。
☆今日の一句☆
幸せを
手に入れないのも
幸せです