仏教に学ぶ生き方、考え方「不登校というもの」
八月も明日で終わりです。
もう二学期が始まっているところもあると思いますが、自坊の地域では「九月」から始まる学校が多いです。
そして学校へ行くのを楽しみにしている人も多いでしょう。
その反面、学校へ行くことがとても「ストレス」になっている子どももいると思います。
それでもストレスを隠して、親や先生に「忖度」しながら登校する子どもも多いのではないでしょうか?
学校に行けばいい、行かないとダメという結果で見てしまうことが多いですが、行きたくないと思うところへ自ら入っていくことほど「辛い」こともないでしょう。
この歳になって思うことは、学校に行く行かないを「それほど」気にすることはないということです。
つまり学校へ行くことがノーマルで行かないことが「外れている」のではなく、行く行かないは本人の感じ方であり、「個性の一つ」だと感じております。
自坊でいつもお唱えしている「仏説阿弥陀経」には「花がそれぞれの色で咲いていますよ~」と言っている箇所があります。
子どもと親が「それぞれの色」で咲いている。
ありのまま、そのままを認めるということが、真宗の「礎」になっているのです。
☆今日の一句☆
学校に
行くためだけに
生まれたか
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