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仏教に学ぶ生き方、考え方「学ぶという歩み」

 今日も、昼からプールで泳いできました。

 昨日がプールの定期メンテナンスでお休みだったので、心なしか水も「キレイ」に見えます。

 人もまばらだったので、「ゆっくり」と練習をすることができました。

 今日は「反対側での息継ぎ」にチャレンジです。

 右側だと水を飲むことはありませんが、左側は「水を飲む」か「頭ごと」上がってバランスが崩れるかします。

 何回かやってみましたがなかなか「難しい」です。

 こういう時、ふと「水泳教室」に入るか「誰かに習う」かすればいいかなと思ってしまいます。

 確かに客観的に見たり、正したりしてくれる「存在」はありがたいものです。

 でもそうなると「教えてもらっているという状態に満足してしまうのでは?」とも思うのです。

 教えてもらうことに「慣れ」て、自分から求める「歩み」を止めてしまわないかと。

 同様に「希望の学校に入学する」ということは、自分の学びを進めていくという歩みを「助けたり、示したり」する手立てを手に入れたわけです。

 だからこそ入学してからも歩みを止めることなく「進む」ことが求められます。

 でも入学したということに満足して、そこから進もうとしないこともままあるかもしれません。

 逆に求めることは、別に学校や教室で教えてもらわなくてもできるのではないでしょうか?

 自分でいつでもどこでも、学びという「歩み」は進めることができるのです。

 そしてそれを「仏教」で実践された方は、他でもない親鸞聖人だと思うのは私だけでしょうか?


☆今日の一句☆
 
 歩みさえ
    止めねばどこでも
           学べるよ

 

 

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