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#79 「人生に無駄なものはない」(日野原重明/遠藤周作)

1.「人生に無駄というものはありません」(日野原重明)


朝起きてパソコンを立ち上げると、Facebookの「スマートシニア全員集合!」の日替り配信で日野原重明さんの言葉が飛び込んで来ました。
人生に無駄というものはありません」 日野原重明

fb新老人の会(フォロアー2.7万人)は、日野原重明さんの珠玉の言葉を日々フォロアーに配信しています。1か月周期の日々の絶妙のタイミングで、その日に相応しい言葉が選ばれて配信され、タイミングの妙に驚きます。

スマートシニア全員集合!「日野原重明」今日(5日)のことば

人生に無駄というものはありません」・・・日野原さんのこの言葉には、後段があります。
しかし、後にならないと、その意味がわからないということがたくさんあるのです。つらいことでも苦しいことでも、「体験」したことは、間違いなくその人の強みになります。

2.「人生には何ひとつ無駄なものはない」(遠藤周作)

日野原さんの言葉を味わいながら、この言葉を発したもう一人の人物のことを思い浮かべました。作家遠藤周作氏です。

生きること、愛すること、信じること、疑うこと
人生のすべてを語る珠玉の言葉
朝日文庫(2006年6月第1刷)

人生には何ひとつ無駄なものはない」(1998年3月 海竜社)の監修は鈴木秀子さん。鈴木さんは、入院中の遠藤氏に3年半寄り添い、30数年にわたって遠藤氏と親交があった方ですが、『感謝の気持ちを込めて、遠藤さんの多数の作品の中から、珠玉の言葉を選び取って編んだものです』と語っています。(監修者あとがきより)

人生には何ひとつ無駄なものはない」ーこのテーマで鈴木さんは、「生き上手 死に上手」(1991年1月 文春文庫)の中から一節を選んでいます。

 尊敬する小説家フランソワ・モーリヤックの最後の作『ありし日の青年』に、次のような言葉がある。
「ひとつだって無駄にしちゃあ、いけないんですよと、ぼくらは子どものころ、くりかえして言われたものだ。それはパンとか蝋燭のことだった。今、ぼくが無駄にしていけないのは、ぼくが味わった苦しみ、ぼくが他人に与えた苦しみだった」
 この言葉を読んだ時、思わず「これだな」と思った。私が会得したことがそのまま、そこに書かれていると知ったからである。
 ひとつだって無駄にしちゃいけない―というよりは、我々の人生のどんな嫌な出来事や思い出すらも、ひとつとして無駄なものなどありはしない。無駄だったと思えるのは我々の勝手な判断なのであって、もし神というものがあるならば、神がその無駄と見えるものに、実は我々の人生のために役に立つ何かをかくしているのであり、それは無駄どころか貴重なものを秘めているような気がする。これを知ったために、私は「かなり、うまく、生きた」と思えるようになった。

遠藤周作「生き上手 死に上手」(1991年文春文庫)P184 -185

遠藤周作は、(フランソワ)・モーリアック(1885/10-1970/9)に多大な影響を受けたとされています。自身で翻訳も手掛けていますが、モーリアックの最後の作『ありし日の青年』は「モーリアック著作集6」に所収、遠藤周作が編集しています。
 恐らく、遠藤周作は、40代でモーリアックの最後の作品『ありし日の青年』を仏語原文で読み、60歳に差し掛かるタイミングで、「モーリヤック著作集6」(1983年8月 春秋社)の編集に携わったと思われます。
 「生き上手 死に上手」(1991年1月刊)所収の言葉は、70歳を前にした遠藤周作の実感がこもった言葉だと思います。
人生には何ひとつ無駄なものはない

モーリヤック著作集6(1983年8月 春秋社)ー「ありし日の青年」所収

3.遠藤周作作品を読むー人生の再構成

「遠藤周作生誕100年」の今年、これまで敬遠して来ましたが、遠藤周作の著書(小説)を心して読んでみることにしました。
 そのことを、note#78にも書きました。

●海と毒薬
●わたしが・棄てた・女
●沈黙
●侍
●深い河

まずは、この5冊です。
「海と毒薬」を読み終えました。
順番に一冊ずつ「深い河」まで読み、遠藤氏が作品の中で伝えようとしたメッセージを感じ取りたいと考えています。

遠藤周作は、最後のエッセイ集となった「万華鏡」(1993年)で『人生の再構成』という言葉を使っています。

 敬愛するわがデーケン神父さんはある時、こんな人生再構成の話をして下さった。癌で死を前にした一人の母親が、子供たちのために、彼女にとって生涯の思い出だった色々な歌をテープに吹き込み、そして死んでいったという。
 そのテープによって子供たちは母が自分たちのために歌ってくれた幼い頃の童謡、家族のみんなで歌った色々な歌、そして母の好きだった歌をそのままの肉声できくことができた。
 何という美しい、素晴らしい人生の再構成であろう。何という愛情のこもった形見だろう。

遠藤周作「万華鏡」P156 

 「遠藤周作講演選集」は、1966年から1993年までー43歳から70歳までの遠藤周作の講演から特に印象的なものを選んで6枚のCD集にしています。
 遠藤周作の弟子を自称する加藤宗哉氏は、CDの解説の中で、「少年時代にキリスト教と言う〈洋服〉を母親によって着せられ、しかしそれを脱ぎ捨てることはせずに、自分流の〈和服〉に仕立て直して着続けたカトリック作家の人生が、このCDの中に再構成される」と語っています。

人生には何ひとつ無駄なものはない」・・・ただ、日野原重明さんの言っているように「しかし、後にならないと、その意味がわからないということがたくさんあるのです」。ここが大事なところです。
 
タイプとしては大きく違う日野原氏と遠藤氏が同じ言葉を使っているのが興味深いですが、遠藤周作の「再構成」は、エリクソンの老年期の「自己統合」にも通じます。

4.無駄の効用~ちょっと待て「コスパ」と「タイパ」

「無駄を省く」という意味で、かなり前から「コスパ」が言われるようになり、最近では「タイパ」も良く言われるようになりました。
「損か得か」「効率が良いか悪いか」で、やる前から判断して止めてしまう傾向が強くなっているように感じます。

 一見「無駄」に見えることでも、最初から決めつけないで「やってみること」、そして「やり続けて初めて見えて来るものがある」・・・「人生の再構成」は、過去の様々な出来事や経験を捉え直す営みであり、晩年の遠藤周作が伝えたかったメッセージではないでしょうか。
 ”ちょっと待てー「コスパ」と「タイパ」”です。

 「遠藤周作生誕100年」の今年は、遠藤周作作品の深みに触れるべく、最後の作品「深い河」まで読んで行きます。
 作品を読み進める中で、作品に託した遠藤周作の渾身のメッセージを受け取りたいと思います。「人生に無駄なものはひとつもない」のだと。





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