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等(など)の一文字で誤魔化す行政1

前回、差別について述べていく中で、行政の瑕疵について述べようと思いました。
外国人に対する政策は、多様性政策の一部として位置づけられているからです。
多様性政策の一部としての外国人政策、といった位置付けは、理屈としては通ります。
しかしながら行政がそういう位置付けをすることで、概ねは形骸化してしまいます。
たった一文字、「等」という文字によって。
※「など」でも「とう」でも御自身が読みたいよう読んでください。(省庁は「とう」としますが。)

「等」という文字

お役所仕事における「等」

お役所仕事における「等」を知っていますか。
国、県、市のどれでも構いませんし、総合計画、基本計画、個別計画のどれでも構わないのですが、必ずと言っていい程あるのが「等」です。

外国人政策でいうと、こんな感じ。
「女性、高齢者、障碍者、外国人等の云々。」

等を入れることで、日本語を話せない日本人にも適用できるようにしています。

外国生まれの外国育ちで、日本語を話せない人間であろうと、日本国籍を有する人間は全て日本人ですから、外国人と呼べません。
そこで、お役所仕事が行なっているのが「等」をつけること。
外国人等の「等」に含まれます、と言えるようにしておくためです。
「等」は行政にとって都合が良いのです。

極端な例

「等」はその都合の良さにより頻繁に多用され、もはや何が何やらという状態になっています。
極端な例を挙げてみましょう。
※特定の自治体を事例にして批判するものではないため、文言は敢えて不正確にしています。

「若者等、女性等、障碍者等、高齢者等、外国人等の多様性を活かすとともに、云々。」

行政は一体何を言っているんだ。
私はそう思います。

これは、縦割り行政の寄せ集めであることを示すもので、事勿れ主義の典型例です。

「等」をつける理由

何故「等」をつけるのでしょうか。
「等」をつける理由は何でしょうか。

若者等、というのは若者でない人間を含むから。
社会人学生を含めたい有識者の指摘に備えて。

女性等、というのはLGBTを含めるため。

障碍者等、というのは手帳を持たないが疑わしい人間がいるという有識者が出てくるから。

高齢者等、というのは高齢夫婦の参加を目論んでいるためで、どちらかが非高齢の場合に備えて。

外国人等、というのは冒頭述べたように、日本語を話せない日本人を対象として含めるため。

それぞれの理由はそれぞれの文脈でわかります。
縦割り行政の縦割りの範囲内においては。

「等」をつける目的

何故「等」をつけるのでしょうか。
ここまで「等」をつける目的は何でしょうか。

計画を通すためでは無いですか。
指摘を受けないように予め備えるため、または、指摘を受けて修正したため、概ねそんなところだと私は推察します。
※指摘と修正が議事録に載ることもあります。

私はそんな「等」を「計画のための計画」にある文字だと見ています。
若者等と高齢者等が両方ある時点で、何を言っているんだ、と思います。
「計画のための計画」から「実務のための計画」へと、転換してほしいものです。
「等」の一文字で誤魔化すのは、行政の瑕疵だと思っています。

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