弱者のための政治を【エッセイ】三六〇〇字(6分ほどお時間を)
被団協にノーベル平和賞!
11日6時頃、夕食の支度をしていた。突然、動物が唸るような声が。そのあと「被団協にノーベル平和賞」というアナウンスが聞こえ、包丁を持ったままテレビの画面の前に立った。声の主は、箕牧智之さん。顔をくちゃくちゃにしていた。そして、その横に若い女性が並んでいた。高校生平和大使の面々だった。
受賞の報に思った。矛盾だらけの日本ではあるが、唯一の戦争被爆国が核兵器禁止条約に参加していないという大矛盾をどう考えたらよいのか。被団協の長年の活動をノルウェー・ノーベル委員会が評価し、この先にも期待している。このメッセージを日本は、どう受け止め、どう行動すべきなのか。明々白々である。
しかし、(広島出身の)岸田前首相は、核兵器禁止条約について、こう説明していた。
「核兵器のない世界という大きな目標に向け重要な条約だが、核兵器保有国は一国たりとも参加していない」「そこに日本だけ加わって議論をしても、実際に核廃絶にはつながらない」と(では「核廃絶」についてはどう考えるか、を訊きたい)。
当然、アメリカの「核の傘」の下にいようが核廃絶を主張できない理由にはならない。日本としては、核兵器禁止条約に参加し、かつ核兵器保有国と非保有国の双方が加わるNPT(核拡散防止条約)を通じて、唯一の戦争被爆国として双方の橋渡しとなり、現実的に核軍縮を前に進めることを優先する立場を取るべきではないか。今回、ノーベル委員会からも、それが求められているのではないか。しかし、米国や軍需産業に尾を振る自民党を始めとした軍事力に前のめりの政党からは、『核抑止』『核共有』など、逆行する発言が目立つ。
(以下、朝日新聞デジタル版から)
ノーベル委員会は理由に、二つの要素を挙げた。一つは、核兵器のない世界の実現に尽力してきたこと。もう一つは、核兵器が二度と使われてはならないと証言してきたことだ。被爆者の存在は「唯一無二」だとした。
(中略)
委員長のフリードネス氏は、核兵器を使わない、使わせないという「強固な世界的規範」が揺らぎつつあるいまだからこそ、被爆者の声が重要だと説く。
そして、核兵器の全廃は非現実的だ――。そんな声にどう反論するか。
氏は即答した。「核兵器に安全保障を依存する世界でも文明が生き残ることができると考える方が、よほど非現実的ですよ」と
詳細は、
「弱者のための政治を!」
さて、総選挙です。「どうする?」
わたしは、まず、
「前述のような『核兵器禁止条約に不参加する理由』を宣う政党は論外」
と答えます。
さらに、
「“政治屋”はいらない。“青っぽく”てもいい、純粋に政治を考え・行動する誠実なひとを国会に送ろう」
と、言いたい。
そして、
「弱者のための政治を!」「『一つの命 >「国家」』の政治を!」
と強調したい、です。
保守的な政党を支持する方の中には、こんな考えの方がいるのではないかと思う。
「権利ばかり主張するのは見苦しい」と。
私に言わせれば、
「権利を主張してください。泣き寝入りしないで」なんですけどね。
高視聴率となった『虎に翼』。壁に「日本国憲法第十四条」が書かれてありました。
「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と平等を謳っています。
憲法には、為政者が守らなければならないことが書かれてあります。そして国民には、守るべき「義務」と、そして主張して当然の「権利」が書かれてあります。
その「権利」を主張することが「見苦しい」と感じるひとこそが、「見苦しい」と、私は思います。「(やるべきこともやらないで)」というカッコ書きがあるのでしょうが、多くの人はやるべきことをやっている、やろうとしてもできない、のです。
どこかの国の総理大臣が、就任早々、こう言いました。
「私が目指す社会像、それは、自助・共助・公助、そして絆であります。まずは自分でやってみる。そして家族、地域でお互いに助け合う。その上で政府がセーフティーネットでお守りをする」
「まず『自助』。できないひとがいれば、『共助』でやってください。そして(最終的に)『公助』です」と理解しました。
ある面では、正しい。
少なくても私は、そうしている(つもり)。ひたすら「自助」でやっています。
しかし、今年の1月。HCUに入り死にそうになったときなんかは、別でした。友人の「共助」に涙しました。そして、国の医療制度の「公助」(多額の「みかじめ料」を支払ってきたからね^^)の世話になりました。
というように。
私は恵まれているほう、「強者・弱者」でいうと、「強者」に入るだろうから、そのようにできるのだと思う。しかし、「自助」で頑張ってみてもどうしようもないハンデを負っているひとはいます。身体的な障がいを負っていたり、貧しい家庭環境にあるような子どもであったりとか。
国はまず、国の愚策のためにその境遇に追い込まれた弱い立場にある国民から「公助」で「お守り」するべきである。
あるnote友の方からこのようなコメントがありました。
(「野党が掲げる公約の原資が曖昧」というご意見の文脈で)
そうなんです。その原資がどこから捻出できるか。そこに国民寄りか大企業寄りかで政党色が出てくるわけです。
ちょっと前に、「アベノミクス」なんてありました。国が、社会が富めば国民も豊かになるという考え方。結婚披露宴なんかで行われる「シャンパンタワー」を例に説明しました。上からシャンパンを注げば、「ね! こうして下までシャンパンが流れて行く。でしょう?」って。で、雫が垂れてきましたか? 多くの国民が豊かになったのですか? 株価が上がって儲かったひとはいるでしょうけど。
自民党がこの考え方をとるのは、やはり大企業や富豪層からの「票」によって成り立っているから、です。「富めるものをイジメたら国全体が貧しくなる」というのは、富める者の身勝手な論理にすぎないのです。
対して、国民寄りの政党は、何を原資にするか。やはり、「(膨大に膨らむ)防衛費」「大企業の内部留保」「大富豪の資産」「富める高齢者の医療費等、福祉関連費」など、国の政策のひずみによって生じたムラを均し、分配する「再分配」の考え方をとるべきでしょう。
今回の選挙の争点は、まず「政治とカネ・モラル」(旧統一教会を忘れちゃいけませんよ)があります。汚い税金の使い方を許すのか? え!! 許すんですか? 許せるはずはないでしょ? 一丁目の一番地なのです。当然なのです。それを、「仕方ないじゃないか。野党には任せていられないし」と言うのですか?
次の争点は、「物価高」。デフレ脱却から一挙に物価高です。これは日本だけではなく世界的な傾向です。日本の場合は、賃金が低すぎるという特徴があること。「シャンパンタワー」から落ちてきた雫はなかった。あっても、大企業や大富豪層だけだったということです。これまでの政府の「豊かさ」対策は失敗だったということです。その失敗を続けるか、別の政策を試みるかです。
各党が、それぞれ政策を提案しています。正解はない。正解かどうかは誰にもわからない。だからこそ、軌道修正ができるような、「チェックできる」「政権交代が可能な」政治体制にすることが重要なのです。
期待できるのは、判断が難しい「絵に描いた餅」ではなく、これまでの政治活動で示した「誠実さ」「透明性」と、その結果の「信頼性」と思うのです。日本は政党政治なので、候補者が属する政党を、この視点を基準に判断すべきと考えます。
以下は、私の勝手な推測です。
現与党に「退場」してもらうだけに充分な悪さが大いにあったと思う。しかし、今回の選挙では、政権交代は難しい(野党が乱立の選挙区が多すぎる)。しかし、せめて、悪さをしたらいつでも交代されるかもよ、という緊張感のある政治体制をなんとしてでも実現しなければならないと考えるのです。
そのためには、与党ではない政党に、「反与党が明かな」政党に投票すべきと考えるのです。大丈夫です。自民党が大惨敗するわけではありません。鉄板の、懲りない支持者が守るでしょうから。
最後に、
スウェーデンが模範とすべき理想の政治をやっているとは思わない。しかし、日本よりは「誠実さ」「透明性」と「信頼性」がある、と思うので、過日書いたことを再度、記します。
「選挙」(前篇)「あなたは幸福ですか?」【エッセイ】二四〇〇字(本文)
「選挙」(後篇)「せめて投票を」から、一歩前進を【エッセイ】二八〇〇字(本文)
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