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為せばなる の実話
前回、為せばなるという話をしました。
この言葉を初めて聞いたのは小学生の時だったと思います。ある人の講演を聞きにいったのがきっかけだった思う。
片手がなくても野球はできる
その方は片手を事故か何かで失っていました。直接間近で見ましたが、不自然な手の色だなぁ、と子供ながらに思った記憶があります。あとあと振り返ってみると、義手だったのだと思います。数十年前ですので、義手の技術も今と比べてまだまだだっのでしょうね。見るからに違和感がありました。
その方が小さい頃に手を失いながら、健常者と一緒に野球をやったというエピソードを聞きました。
当然、片手がないことを悲しんだり、怒ったりという感情があったはずですが、その時にご両親から教えられたのが、この「為せばなる 何事も」という言葉だったそうです。
この言葉に後押しをされて、彼は野球に打ち込み、グローブを顎と肩で挟んでボールを投げ、素早くグローブに手を入れる事で守備をするというスタイルを身につけました。そうしてみんなと一緒に野球を楽しむ事ができたそうです。
嘘みたいだけど本当の話だった
私が小学生5年生くらいの時に聞いた話ですが、今でもこの言葉と共にこのエピソードが強く記憶に残っています。
その時は正直現実の話とは思えず、作り話の様な感覚で聴いていた様に思います。が、のちのちあれは義手だったのではないか?という事はあれはあの人の実体験なのではないか?だとしたら凄い。あの言葉は本当なんだ。そう思う様になりました。
さらにその後、映画で両手が生まれつきない方が取り上げられていたのを見て、さらに確信を強くしました。そして、その生き方、強さに驚愕しました。
自分がその立場だったらあの様に強く生きられるだろうか?そんな風に考えました。結論は、無理!という感じでしたね。
全てを受け止め最大限努力し続ける
やはりこれも主体者を自分に置く事が重要なのですが、自分の境遇を嘆くのではなく、しっかりと受け止めて、出来ることを一生懸命やり続ける事なんだと思います。誰かのせいにしたり怒りをぶつけていてもなんの解決にもならない。
僕らが抱えている問題は誰かのせいにしたら、誰かがなんとかしてくれるかも知れない。そういう甘えが邪魔をするのかも知れません。
その甘えを消して、自分を主体者としてできる事を信じて努力を続ける事です。
そうする事で道が開けるのだと思います。
諦めたら終わりです。
私の会社でも障害のある方が複数働いてくれています。皆さんに共通しているのは、みんな明るいし一生懸命だという事です。しっかりと自分のこととして受け止めています。私たちが見て不本意なのではないかと思う様な境遇であっても、与えられた仕事に一生懸命取り組んでくれています。
私たちは彼らからたくさんのことを学ばなければいけないと思います。
全て自分のことであり、誰かのせいではない。出来ること、やりたい事に対して一生懸命取り組み続ける事で必ず出来るのです。できないのは自分の努力が足りないのです。
実際に無理だと思う様な事を実現している人がたくさんいるのです。
私は小学生の時のエピソードを忘れられませんし、それが頭の片隅に常にあるので、最終的に今があると思っています。
為せば成る 為さねば成らぬ 何事も
成らぬは人の 為さぬなりけり
です。これを胸に深く刻んでおきたいものです。
今回も最後までご覧頂きありがとうございます。お役に立てたら嬉しいです。
岡本昌巳