2024、書き初め
去年の日記を見たら、「頭痛、腹痛で散々」と書いてあったけど、今年も頭痛の年明けだった。いつも夫の実家なので寝られず、睡眠不足。きっと来年もそう書くんだろうと思う。
年々、体が言うことを聞かないし、これくらいで?と思うことでも体には負担になるようで、困る。
本も持って行ったけど読めず、特に何もしなかった正月。
夫の友人たちと行ったカラオケで揺れを感じて気分が悪くなった。
正月だからといって穏やかに時間が過ぎるとは限らないんだなと当たり前のことを思う。こんなに晴れていて暖かいのに、大地はまた別の動きをしている。
心も体も健やかに、というのは毎年の目標。
でも、ちょっと無理をしてでも、やりたいときがあるし、それはそれでいいと思っている。
きっと心も体も揺れるだろう。波紋がなかなか消えないうちにまた次の波がやってきて、澄んでいるはずの水底がなかなか見えずに不安になる。
書くことも生きることも、わたしにとってはすごく近いことである。
わたしの書く小説はもしかすると時代遅れなのかもしれないなぁと年が明けて思った。新しい価値があるかと問われれば、ノーという答えになるだろうな。
それでもわたしはわたしの書けるものしか書けないから、それを書いていくしかないのだと思う。変わっていくかもしれないし、そのままかもしれない。自分がどうなっていくのかわからない。わからないから自分の書くものを見届けたい気持ちを抱えつつ、求められていないものを書いてもなぁとかいろいろ考える。
星新一さんのようにどんどん更新していくスタイルの作家もいれば、どなただったか忘れたけど、「その時代の空気が染み込んでいるから、あとで直したりはしない」と言っていた作家もいた。
どちらが正解なのかはわからない。でも、昔の作品でも好きなものはたくさんあるので、きっと時間を超えたものがその作品には流れているのだろうと思う。
その「流れているもの」をわたしはつかみにいくしかない。もしくは、すでに自分の中にあるのだとしたら見つけ出していかなくてはならない。
そんなことを考えていた元旦。
まだまだわたしは書き始めたばかりだと思っている。
しかし、相変わらず漠然とした目標だなぁと書いていて思うので、ちょっとだけ具体的な目標も掲げておこうと思う。
・長編(100枚以上)を書いて公募に出すこと
・文フリには出られるかわからないけど、最低1冊は新刊を作ること
・近くでもいいので旅に出ること
・妹のタネカラプロジェクトに参加すること
・何らかの収入を得ること
今年は娘の受験も終わるので、タネプロや文フリには娘にもたくさん関わってもらうつもりである。身内だからというだけではなくて、未来を作っていく若い人にバトンを繋いでいきたいと思うから。
漠然としているけど、若い人のために何かできないかなぁと思うこともここ数年で多い。(子どもだけではなくて、20代ぐらいまでの人という感じ)
年末に読んだ本の中で、心に響いた言葉がまだわたしの中でうねっているので、引用させていただいて、締めくくりにしようと思う。
ーー書物は、時代の空気と風と光をふくらませた言葉の容れ物である。書物を取り囲む環境は衰えているが、ちいさくとも貧しくとも歴史の流れの中で花咲いている。出版はマイノリティの様相を呈しているけれども、言葉は残る。たとえ社会の闇に埋もれたとしても、書物の言葉は滅びない。だが、書物よ、抵抗せよ。時代に負けるな。