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「運命のテンテキ」に出会ったのも運命なんです運命論

2021/2/7追記。こちらのnoteでご紹介している短編映像作品「運命のテンテキ」を「月いちルーツ」と題した配信企画の第1回でお届けできることに。3/6(土)20:00-21:30これまたルーツらしい喜怒哀楽爆発劇「吉野家の奇跡」(脚本は名古屋の劇団空中空地の関戸哲也さん)と2本立てでオンライン上映の後、トークセッションと交流会。無料ですが、定員50名で締め切りなので、ご都合つく方、こちらからお早めにお申し込みください!まずは予告編を↓

「運命」て何回言うてるねんと突っ込みつつ「運命のテンテキ」というタイトルをまんまと刷り込まれてしまったそこのあなた、出会ってしまいましたね。

点滴を一度もうまく打てなかった新人看護師に俺は恨みしかない。まさかその彼女と再び出会うとは!最悪で最高のファムファタルとの運命論

あらすじまでうっかり読んでしまったら、「運命のテンテキ」に詳しい全国上位108人以内にランクイン‼︎

「運命のテンテキ」は、「ルーツ」第1回公演の2日目、10/18(日)の「秋」チームで初お披露目される15分ほどの映像作品。脚本を手がけたこの作品を一人でも多くの方に観ていただきたく、このnoteを書きます。太字多めで!

※追記。公式発表の通り10/18の「ルーツ」公演は中止となりました。日をあらためてお届けできるまで、作品を知っていただく時間をもらえたと考え、このnoteが広く読まれることを願っています。

井澤こへ蔵✖️永田貴椰

ひとつ前のnote「宣伝費ゼロのバズらせ会議」に書いたように、「ルーツ」は、役に合った人をオーディションで選ぶのではなく、オーディションで選ばれた人から役が生まれ、物語になる「逆オーディション」。

「運命のテンテキ」は、井澤こへ蔵さんと永田貴椰(ながたあや)さんを組ませたい、というところから始まった。

まず、こへ蔵さんは、少し前、この記事でYahoo!ニュースのトップになった。

和歌山城で「おもてなし忍者」をやっていたそうで、トークがとても軽妙で惹きつける。和歌山と言えば、国内最高齢の現役助産師を昨年引退された『産婆フジヤン』こと坂本フジヱさん。和歌山弁のせいか、こへ蔵さんの口調は、奉公時代のことも戦時中のこともあっけらかんと語るフジヤンに通じるものがある。

10/11に「ルーツ」公式Twitterで紹介されたプロフィール動画がこちら。

潰瘍性大腸炎で大変な思いをした経験を語るときも、肩に力が入ってなくて、聞き手を身構えさせない。からっとしていて湿っぽさがない。そして、話している途中にワハハとわかりやすく笑う。まわりの湿気も取り払ってくれそうな、しゃべる除湿機。その朗らかさは、大病を患ってどん底まで落ちた後の晴天なのだと思う。箸が転んでもおかしい年頃の娘のように、こへ蔵さんは生きているのが楽しくてしょうがなくて笑う。

ヒアリングで印象に残っているのは、「小さい頃、死んでしもたらどないなるんやろと思ってた」という話。

わたしは小児喘息を患っていた頃、体を二つ折りにしてゼーゼーと喉を鳴らしながら「死んだらどないなるんやろ」と考えていた。息苦しさは死の恐怖と直結する。いろんな角度から死というものを見つめ、理解しようとした。食卓に並ぶ調味料を眺めて「わたしが死んでも醤油は残る」と思ったり、電車に揺られながら「50年後、この車両にいる何人が残っているんやろ」と考えたりした。

小学校に上がる前に喘息がほとんど出なくなった。息を吸えるのが当たり前になり、生きることに忙しくなると、「死んだらどないなるんやろ」を考えるヒマはなくなっていった。幼稚園を休んだ布団の中で絵本の続きを考えていた延長で、物書きになった。

一方、こへ蔵さんは、まっすぐ育ち、まっすぐ大学まで進み、そのまままっすぐ公務員のようなカッチリした職業に就く予定だったが、就職活動を前に本人曰く「おなかがぶっ壊れた」。休学し、就職活動は断念。闘病生活の中で「一度しかない人生なら、いくつもの人生を生きられる役者になろう」と決めた。舞台に立つようになって、まだ一年。40度の高熱が続いたり、一日40回トイレに行ったり、それがいつまで続くか先が見えなかった頃が一番苦しかったと話す。あくまで湿気抜きで。

「この人はトークが完成されてるから、作品にするのはハードル高いな」

そう思っていたが、こへ蔵さんの別な顔を見る機会があった。「ルーツ」総合演出の配島徹也さんが審査員のアロム奈美江さん(この二人はわたしが脚本を書いたもう1作品、「私じゃダメですか?」を演出)をゲストに迎えた有料配信トーク「居酒屋てつや」。このとき、ビデオをオンにして視聴参加していたこへ蔵さんがzoom画面に映っている間ずっと食べたり飲んだりしていた。潰瘍性大腸炎が完治したわけではないが、あるものとして受け入れ共存する「with」の道筋をつけたらしい。ニコニコしながら実においしそうに食べる姿を見ていると、こっちまで楽しくなった。

「好きなものを食べて、飲んで、生きているのに忙しい井澤こへ蔵を描きたい」

と思った。絵が浮かんだ。その頃、名古屋で活躍する永田貴椰(ながたあや)さんで作品を作れないかと考えていた。10/16に「ルーツ」公式Twitterで紹介されたプロフィール動画がこちら。

ポンポンと言葉が飛び出すこへ蔵さんとは対照的に、永田さんは言葉をひとつひとつ選びながら話す。それが、芝居の話になると、言葉が弾み出す。以前やった芝居、いつかやってみたい芝居。役を生きているときが一番楽しい。演じることが好きで好きでたまらないのが伝わってきた。常に次の公演が控えていたのが、コロナ禍で間が空くようになってしまい、演じることに飢えているようだった。

「こへ蔵さんと永田さんを組ませたらどんな化学変化が起こるのか見てみたい」

二人芝居の提案が通った。永田さんのヒアリングを担当したカメラマンの長濱周作さんが演出してくれることになった。長濱さんは札幌を拠点に活動されている。いつもボーダーのものを身に着けていて、スタジオの名前も「&border」。

こへ蔵さん、永田さん、長濱さん、「ルーツ」を立ち上げた一人で映画プロデューサーの石塚慶生さん、わたしの5人でzoomヒアリングを行い、演者二人のエピソードを聞き出した。

こへ蔵さんは牡蠣フライが好きで、近所の惣菜屋の牡蠣フライを毎日のように食べる。永田さんに「毎日食べるぐらい好きなものは?」と聞くと、「白いごはん」。おかずも醤油もなくていい。米粒を味わいたい。その答えが永田さんらしいと思った。

ヒアリング終盤、「どんな役をやってみたい?」と石塚さんが質問すると、二人とも、「いつもはあて書きが多いので、自分と違う役をやりたい」と答えた。

「本人が本人の役」をやるのが「ルーツ」だと思っていたから、この答えは新鮮だった。

「あて書き」をシルエットや色味を本人に合わせるオーダーメイドに喩えるなら、「ルーツ」の脚本は仕上がりだけでなく、原材料まで本人にさかのぼる(まさにルーツ!)。本人のエピソードを引き出した先は、自由で奇抜で、本人が知らない本人が飛び出したっていい。

「入院しとったときの看護師さんが新人で、点滴がむっちゃ下手くそで」

それまでのヒアリングに出ていなかった話をこへ蔵さんが始めた。悲惨なはずのそのエピソードに大笑いしながら、「点滴の看護師が天敵!」と盛り上がり、そこに「いつもと違う役の二人」が絡み、「運命のテンテキ」の原型が生まれた。

どんな物語になったのか、「ルーツ」第1回公演でぜひ。

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『子ぎつねヘレン』がつなぐ縁

こへ蔵さんは小学生のときに観た『子ぎつねヘレン』(2006年公開)をよく覚えているらしい。「ルーツ」を紹介するYouTube動画で「小学生の自分に『将来その脚本家に脚本書いてもらうで』と言うたりたい」と語っている(9分過ぎ)。

「わたしも覚えてます!」と永田さんも言い、演者二人に親しみを覚えてもらえた。「ルーツ」を立ち上げた一人、石塚慶生さんは『子ぎつねヘレン』のプロデューサーで、わたしが「ルーツ」に参加したのは石塚さんに誘われたから。演出の長濱周作さんは『こんな夜更けにバナナかよ』のスチール撮影で石塚さんに出会った。その映画の監督は、わたしの映画脚本デビュー作『パコダテ人』の前田哲監督。

前田監督は、函館港イルミナシオン映画祭のシナリオコンクールに応募した脚本を審査員のじんのひろあきさんの家で見つけ、原稿の一枚目の応募者プロフィールにあった電話番号を見て連絡をくれた。会ってみたら、わたしの父が数学を教えていた高校出身で、同じ時期に在籍していたことがわかった。「卒業アルバム見たら、今井先生載っとったわ!」と後で連絡をくれ、ご縁ですねえとなった。「こういうときは、うまくいきます」と言われた。実際、映画化の話はとんとん拍子でまとまった。前田監督が「今井さん使たって」とわたしを松竹にいた榎望さんに売り込んでくれ、『子ぎつねヘレン』の話が舞い込み、石塚さんと出会った。

応募当時は『ぱこだて人』だった脚本を前田監督が目に留めたのは、じんのさんが「これ面白いよ」と前田さんに差し出した原稿の下にわたしの原稿があったから。もし、それが別な作品だったら、映画『パコダテ人』は生まれていないし、わたしは『子ぎつねヘレン』の脚本を書いていないし、たぶん「ルーツ」にも参加していない。

こへ蔵さんも、永田さんも、もし「ルーツ」に応募していなかったら、最終メンバーに残っていなかったら、出会うことはなかったかもしれないし、こへ蔵さんが「居酒屋てつや」の生配信をビデオオンにして観に来て、いつものように飲み食いしていなかったら、こへ蔵さんと永田さんの組み合わせは生まれなかったと思う。

偶然のようで、必然のようで、つながるルーツ。

「運命のテンテキ」は、まさにそんなお話。

永田さんから見たわたしは「話し方が可愛らしい」人となっているが、「運命のテンテキ」で永田さんが演じる「アヤ」はこへ蔵さん演じる「コヘゾウ」を可愛さ全開で振り回す。永田さんが「こんな役をやってみたい」と目をキラキラさせて言ったから生まれた、女の子ど真ん中な小悪魔キャラ。zoomでの稽古をスマホで見ながら、笑うと目が三日月になってとってもキュート!と気づいて(プロフィール動画後半でもご確認いただるのでぜひ)、その顔になるたび、いいねを押したくなっていた。

そんな推しの気持ちを分かち合える人、大募集‼︎

真夜中の番外編

zoomでの稽古のたび、演者二人はどんどん仕上げてくる。二人で空いた時間に読み合わせを重ねているらしい。先日の稽古の後、演出の長濱さんがzoomから退出した後、演者二人の振り返りが始まった。セリフをかぶせるタイミング、声の高さなど、こへ蔵さんより舞台経験の豊富な永田さんがリードする形で確認していく。

役ではなく、役者同士として話している二人の雰囲気がとても良くて、この組み合わせ大正解だったなとうれしくなった。

「コヘゾウって、ずっとアヤに下に見られてるよな?」
「そうそう、転がされてる感じ。そこが可愛いんだけど」
「そう。自分で言うのもなんやけど、可愛い」

二人が役について交わす会話が微笑ましくて、なんだこの可愛すぎる二人は‼︎とキュンキュンしながら聞いていると、

「自分たちの話が作品になるてすごいことやと思わん?」

不意にこへ蔵さんが言った。

「こんなことって普通ないよな」

「うん。そうだよね」と永田さんがうなずいた。

寝静まった真夜中の押入れでおもちゃたちがおしゃべりを始めるのを、夢かうつつか聞きながら、「へーえ。こんなこと考えてるんだー」とほくほくするような、不思議な気持ちだった。

「この本好き」
「わたしも大好き」

突然の告白にドギマギした。ひそかに恋が始まっていて、どちらかがどちらかに告白したのを聞いてしまうより、ドキドキした。眩しいくらいまっすぐで、ひたむきで、「ルーツ」にいなかったら、「運命のテンテキ」にいなかったら、そしてzoomに残っていなかったら立ち会えなかった場面だった。

「だからこそしっかり演じよう」と二人が話すのを聞きながら、これ完全にわたしが残ってるの気づいてないなと思っていたら、

「あれ? 他にまだ人おる?」
「え? そうなの?」

ソワソワとなったタイミングで「聞いてました!」と割って入った。ミーティングのホストを務めていた演出助手さんも「私もいました」と遠慮がちに声を上げた。出るに出られなかったのだろう。

「立ち聞きするつもりなかったんだけど、そのまま聞いちゃって。二人になったら、脚本と演出好き勝手言ってるけど、なんて話になるかと思ったら、真面目に作品のこと語ってるからびっくりした」

こへ蔵さんと永田さんは驚いたり照れたり。「いい話を聞かせていただきました」とお礼を言った。

こへ蔵さんは潰瘍性大腸炎の薬を飲まなくなって、この10月で3年になるらしい。プロフィール動画でも語っているように、同じ病気で薬をやめたお医者さんの本を入院中に読んで、「この先生にどうしても会いたい!」と思い、日本のどこにいても会いに行くつもりでいたら、和歌山城のすぐそばの病院の先生だった。こういうことってあるし、そういうことを呼ぶ人だ。

運命のテンテキは「天的」でもあるのかもしれない。

何度目かのzoom稽古のとき、画面を見ていて気づいたことがあった。こへ蔵さんと永田さん、二人の顔をよく見ると……

同じ位置にホクロがある!

点的な偶然。これも運命かも。

「運命のテンテキ」の他にも偶然のような必然の出会いから生まれた唯一無二の作品が競演する「ルーツ」第1回公演。10/17(土)の「春」「夏」10/18(日)の「秋」「冬」の4チームに分けてお披露目。もう一本の脚本作品「私じゃダメですか?」(note書きました!)は「冬」チーム。

通りがかって最後まで読んでしまったあなた、これもきっと運命。ご縁を感じたら、ぜひ。

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12/17追記。こへ蔵さんのnoteを見つけた。入院中に掲げた目標が「友達とお酒を飲みに行きたい」だったらしい。こへ蔵さんにとって、お酒を飲むというのは、人生楽しんでるでの旗なのだ。道理でおいしそうに飲むわけだ。その姿がわたしを惹きつけて、わたしに書かせたのも通りすがりの偶然じゃなくて運命だったと思う。

「運命のテンテキ」は配信でお届けできるよう準備中。お酒飲みながら観るのも良いね。


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