withマスクだからこそダイアログ
あおむし苦手な人、ごめんなさい。
顔がくっつきそうな距離で、マスクもしないで向き合う姿を見て、「そういえば、ダイアログ・イン・サイレンスのこと、まだnoteに書いてなかった」と思い出した。
静けさの中の対話〜ダイアログ・イン・サイレンス
公式サイトのトップページを見ると、「言葉の壁を超えて、人はもっと自由になる。ダイアログ・イン・サイレンス 静けさの中の対話」とある。モノトーンの人物画の口元に人差し指を当てたビジュアルには、「おしゃべりしよう。」とキャッチコピーが添えられている。(コピーは阿部広太郎さん)
サイトのサムネイルの説明文は「日本に静かな衝撃を起こす10日間、はじまります」となっていて、日本で初開催された2017年のものが残っている。当初は期間限定イベントだった。
1998年にドイツで初開催され、海外で百万人を動員したダイアログ・イン・サイレンスが日本に紹介された当時、わたしは手話講習会に通っていた。いち早く情報が駆け巡り、「ろう者がアテンドするらしいよ」「知り合いが研修受けてる」「面白そう」「行ってみたい」と盛り上がったが、行ける日を探っている間にチケットが完売した。
その後、好評に応えて期間が延長されたが、やはりチケットがなかなか取れなかった。
友人でもあり、映画『嘘八百』の日本語字幕版の監修と宣伝をお願いしたTA-net(シアター・・アクセシビリティ・ネットワーク)代表の廣川麻子さんと松森果林さんが日本版ダイアログ・イン・サイレンスの立ち上げに関わられていて、お二人の活躍ぶりを見聞きしていた。早く体験したいと思いながら機会を逃すうちに『嘘八百』続編の『嘘八百 京町ロワイヤル』ができ、その日本語字幕監修もお二人にお願いした。つまり、それだけの時が流れた。
コロナ禍で外出の機会がガクンと減った2020年秋。廣川さんから連絡があった。
「今、ダイアログのチケットが取りやすくなってます」
マスクしながらのダイアログ・イン・サイレンスってどんな感じなんだろ。言語に頼らず対話を試みる上に、口元まで覆ってしまうとは、チャレンジにチャレンジを重ねていやしないか。
だからこそ、チケットが取りやすくなっているのかもしれない。
でも、だからこそ、今しか学べないことや発見があるかもしれない。
そう思って、ダイアログ体験を3年越しで叶えることになった。
「対話」が常設展示されているミュージアム
9月の終わり、竹芝にある「ダイアログ・ミュージアム『対話の森』」を訪ねた。8月にオープンしたばかりの常設会場。事前予約制で「ダイアログ・イン・サイレンス」または「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」(後ほど紹介)を体験できる。
廣川麻子さんと会場で会える日を選んだのだが、現れたアテンドが、なんと松森果林さん。廣川さんが取り計らってくれたのではなく偶然。「今日体験して大正解‼︎」といきなり太鼓判を押されたようで、期待がさらに高まった。
1日に何回かツアーがあり、わたしが体験した回は6人が参加。補聴器を着けた小学生の男の子とお母さんとそのお母さんの3世代で3人。あとの3人は一人ずつの参加。ドキュメンタリー映像を手がけているという女性と、ろう者の男性と、わたし。その6人とアテンドの松森さんで6つの部屋を順に訪ねていった。
表情特盛で眉毛もしゃべる
6つの部屋ごとに異なるミッションが待ち受けている。「対話のかたち」と呼んでもいいかもしれない。アテンドの呼びかけに応じて、対話を試みる。一対一で気持ちをリレーしたり、グループに分かれて協力したり、競い合ったり。
詳しい内容は体験したときのお楽しみに。
耳はヘッドホンで覆われ、音が遮断された世界。音声を使うことはできない。手話も使ってはいけないルール。言語で事足りるところを、他の何かを使って表したり伝えたりしなくてはならない。
普段使わない表情を作り、動きをする。普段使わない思考回路を使う。筋肉も使う。眠っていたり錆びついたりしている体のあちこちが総動員される。
加えて、今はマスクを着けている。顔の下半身が覆われた状態。顔の上半身勝負、いや、上3分の1ぐらいか。いつもより表情を大きく、大げさに動かさないと、違いがわからない。
マスクから出ているのは目元からおでこまで。前髪を垂らしている人は、目のまわりだけ。「目は口ほどにものを言う」がことさら大事になる。目を見開いたりすぼめたりだけでは足りない。眉にも活躍してもらう。普段は眉の表情なんて意識していないけれど、意識してみると、案外上下する。
「眉毛もしゃべる」という感覚を味わった。
マスクで隠れるときは、使える表情を最大限使うことが大事。
と学べたのは、今年ならではだった。通常の「マスクなし」での参加だったら、口の動きや口角の上げ下げに頼り、眉毛の潜在能力を引き出せなかったかもしれない。
ひとつひとつの部屋はコンパクトだし、移動距離も小さいが、扉をひとつ抜けて次の部屋へ進むたびにステージが上がる感覚がある。体得した「対話のかたち」がバッテリーになりライフになり、相互理解の壁をクリアしていく。
withマスク時代のコミュニケーション
申し込んだときには「マスクありでダイアログを体験できるのも今のうちだし」という期間限定感もあったが、6つの部屋を回り終えたときには、「今後しばらくはマスク標準装備が続くだろうけど、今日学んだことが役に立ちそう」と現実的なことを考えていた。
新型コロナウイルス禍の記者会見で手話通訳がつくことが一気に増えたが、それに伴って「手話通訳はなぜマスクをしない?」と問題視する声が挙がり、「手の動きだけでなく、表情も手話の大事な要素」「口の動きが手の動きを補完している」といった声が寄せられていたことは記憶に新しい。(その後、マウスシールドやフェイスシールドを着ける姿を多く見かけるようになった)
「withコロナ」は「withマスク」でもある。そんな時代のダイアログ・イン・サイレンスは「マスクを着けた人同士のコミュニケーション」についての気づきとヒントの宝庫だった。
そのことを強く実感できたのが、出口の手前、最後の最後にオマケのようにやったゲームだった。他の回でもやっているのか、この回だけだったのかわからないけれど、「いま、困るのが、コンビニなどのレジでのやりとりなんですよね」と松森さんが言った。この場面では音声言語も手話も解禁され、中途失聴者である松森さんは自分の手話に声をつけて話していた。また、聴者の手話通訳もついていた。
「そこでなんですけど、皆さんに店員さんになってもらって、耳の聴こえないお客さんと会話して欲しいんです」
松森さんと、参加者のろう者の男性がお客さん役になった。参加者は一人ずつ、身振りや表情を使って、金額を伝えたり(数字を空書していた)、支払方法を尋ねたり(カードやスマホを身振りで表していた)、レジ袋が必要かどうか(これはわたしの番。袋を身振りで表した)を尋ねたりした。
面白かったのは、一番最後に順番が回ってきたドキュメンタリー映像を作っている女性。手話はまったく知らず、日頃ろう者との接点もないそうだが、好奇心の強さと物怖じしない性格は、それまでの行動からも読み取れていた。その人の思いついた質問が、
「Tポイントを貯めますか、使いますか」
だった。その人は指を閉じた両手を組み合わせて「T」の字を作ってから、片手の拳を突き上げ、「ヤッター」のポーズで「ポイントがたまってうれしい」を表現し、それを「ふやす」のか、「こちら側に払う」のかを身振りで示した。その結果、お客さん役のろう者の二人に「Tポイントを貯めますか、使いますか」が通じた。
これには参加者一同拍手喝采。外国語を学んでいるときに起こりがちな現象だが、「どう聞いていいかわからないから質問を諦める、会話を打ち切る」と消極的になってしまうことがある。でも、その人は「聞きたいこと」がまずあり、それをどうにかして伝えようとした。
手持ちの表現で間に合わせようとすると、コミュニケーションは縮こまる。でも、「伝えたい」意志と「伝わるはず」と信じる気持ちがあれば、表現を引き出したり、ひねり出したりできる。
引き算ではなく足し算。後ろ向きではなく前のめり。コミュニケーションはまず気持ち、いや気迫だ。
潜在能力ならぬ潜在表現を掘り起こせば、伝えられることの領域はまだまだ広がる。ダイアログは、それを体感とともに気づかせてくれる。
手話はコミュニケーション手段のひとつ
ダイアログ体験後は、身振りも表情も大きくなって、おしゃべりしたい気持ちも膨らんで、しばらくロビーに残って名残を惜しんだ。
廣川麻子さんと松森果林さんにも感想を伝えることができた。半年あまりぶりに手話を使った。手話は言語だから使わないと錆びつく。錆だらけでギシギシ軋むような手話になっていたけれど、言語を封じられたダイアログの後だと「手話で伝えられるのは早くて便利」と再認識できた。摩擦で火を熾す苦労を知った後に、一瞬で火がつくチャッカマンのありがたみを知るように。
ダイアログのコピーを手がけた阿部広太郎さんが「手話は言語」と気づいたエピソードは、コピー誕生秘話としても興味深い。
ダイアログ・イン・サイレンスは手話が言語であることをあらためて気づかせてくれるとともに、「コミュニケーションの手段は手話だけじゃない」ことも教えてくれる。
思い出したのは、手話講習会時代のこと。初級クラスだったか中級クラスだったかの初日、講師の先生からこんな問いかけがあった。
「聴こえない人とコミュニケーションを取るのに、どんな方法がありますか?」
「手話!」と受講生は口々に答えた。
正解を言い当てたかと思いきや、先生が言った。
「他には?」
期待されていた答えは違うものだったらしい。先ほどより自信なさそうな声で「身振り?」「表情?」と回答が続いた。
表情の中でも「まばたき」や「舌打ち」はとくに雄弁だ。体を使うものは他に「指差し」や「うなずき」もある。首は振り方や傾け方で意思や感情のグラデーションを表せる。
手を鳴らす、足を鳴らす、まばたきする、などの回数やリズムで意思や感情を伝えることもできる。モールス記号を表すこともできる。
「筆談」という答えも挙がったが、それは「書く」のひとつの形だ。「紙に書く」は紙と筆記用具が必要だけど、「手に書く」「空中に書く」は指があれば事足りる。「文字を書く」もあれば「絵を書く(描く)」もある。「スマホで書く」を発展させると、「スマホで検索して画面を示す」もある。当時はあまり発達していなかったけれど、今ならUDトークなどの「聞き取り・文字起こしアプリ」を使う手もある。
伝える方法は手話の他にいくらでもある。大事なのは、手法にこだわらず、思い込みにとらわれず、伝えようとすることなのだと教えられた。
手話講習会といえば、今回のダイアログで思いがけない再会があった。同じ回に参加していたろう者の男性が、通訳養成クラスのときの講師の先生だった。
「先生に似てるけど、まさか」
顔の下半身を覆った状態なので最初は自信がなかったが、「こんなに似ている人が他にいるわけがない」「間違いなく先生だ」と次第に確信に変わり、体験後に思いきって声をかけてみた。先生はわたしにまったく気づいてなかったようで、とても驚いていた。
相変わらず先生の手話は早くて読み取りが追いつかず、わたしの手話はたどたどしく、お互いの手話を半分ほどこぼし合った感じだが、「コミュニケーションの手段は言語だけじゃない」と体感した後なので、「手話が通じなくても大丈夫」と妙に気が大きくなっていた。
「ダイアログ・イン・ザ・ダーク(ライト)」が問いかける光
同じ会場(「対話の森」)で体験できるもうひとつのダイアログが「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」。
1988年、ドイツの哲学博士アンドレアス・ハイネッケの発案によって生まれ、1999年に日本で初開催される前に世界41カ国以上で開催され、800万人を超える人々が体験していたから、サイレンスより歴史も動員数も上回っている。
日本ではこれまでに約23万人が体験した「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」が今、期間限定で「ダイアログ・イン・ザ・ライト」という形にアレンジされている。
《暗闇での体験を通して、人と人とのかかわりや対話の大切さ、五感の豊かさを感じる「ソーシャルエンターテイメント」》をうたってきた「ダーク」が、売りにしてきた暗闇と真逆な「ライト」を打ち出した。
どこからこの発想が出てきたのか。その疑問に応えるように「ダイアログ・イン・ザ・ライトができるまで」という動画が公開されている。
ダークかライトかを超えて、ダイアログの先にあるものを問いかける内容になっていて、こちらもぜひ体験しなくてはという気持ちになった。
表情と感情を取り戻すダイアログ
ダイアログ・イン・サイレンスを体験してからひと月半。その間にユニバーサル・オーディション「ルーツ」(については怒涛のnoteをまとめたマガジンを)の第1回公演があった。チケットを買ってくれた高校の同級生のM君が、歌詞の一節みたいなメッセージをくれた。
在宅勤務とリモート会議の日々に「表情や感情や、そこから始まる成長や広がりが失われている」と感じていたところに「ルーツ」の公演案内が届いたらしい。
「ルーツ」公演は2日目が急遽中止になり、わたしが脚本を書いた「運命のテンテキ」と「私じゃダメですか?」を含めた10作品が未発表のままだ。お届けする方法を日々探っているところだが、リモート会議はあいかわらず熱く、舞台裏の喜怒哀楽爆発劇は現在進行形で続いている。
思えば、マスクを着けても、リモートでも、表現を諦めたくなかった人たちが立ち上げたのが「ルーツ」だった。7月から関わってきたなかで、「表現ってなんだろう」と考え続けているが、「表現とはダイアログである」ともいえると思う。
通じ合いたいから、わかり合いたいから、響き合いたいから、形にして、表現する。
ダイアログ体験は、表情と感情を取り戻す時間でもある。対話の森から持ち帰ったダイアログの種がそれぞれの日常の中で育ち、森は大きくなる。
「ダイアログ・イン・サイレンス」と「ダイアログ・イン・ライト」のチケットはこちらから。