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いかにもがさつな感じの水
「コップちょうだい」とダンナが手を伸ばしてきたので、ささっと洗ったコップを手渡すと、「水が残ってる!」と騒がれた。わたしがきちんと水を切っていなかったせいだけど、そこまで目くじら立てなくても……。
ダンナは「いかにもがさつな感じの水が残っている」とのたまい、「今のって、詩みたい」と付け足した。
「いかにもがさつな感じの水」が詩なのか?
この人にとっての詩の基準って、詩のイメージって、どうなっているのだろう。
会食の席で海老が出たというので「海老がどうなってたの?」と調理法を聞いたら、
「死んでた」
と答えるような人である。
「ごはん、どうしよう」と聞くと、「簡単でいいよ」「僕が作る」「外で食べよう」「カレーを食べたい」といった想定内の回答をなぎ倒し、
「食べる」
と即答されたのにも絶句した。
「食べる」「食べない」の二択ではなく、その先を聞きたかったのだが……。
何かが足りないのか、何かが過剰なのか、ある意味、非凡な言語感覚の持ち主なのかもしれない。が、詩人とは違う気がする。
「詩っていうんだったら、『君がこれまでに流した涙ぐらいの水』ぐらいのことを言えないのか」と反論すると、
「君は、涙は流さない。汗なら流すけど」
と言い返された。ムッとなったけど、さんずい偏の漢字が4つ(涙─流─汗─流)並んだこっちのほうがまだ「いかにもがさつな感じの水」より詩らしさがある。
でも、妻の涙を汗と並べる感性は、やっぱり詩人じゃない。
……という日記を掘り出した。
日付は2009年3月18日(水)。夫の独特な言語感覚とワードチョイスは相変わらずだが、15年前のほうがエッジが立っていた。わたしに風呂掃除を押しつけたくて言い放った「君の入れた風呂に入りたい」という迷言も思い出したが、これも10年以上前だと思う。
「君の淹れたコーヒーが飲みたい」と言われたら淹れてあげようと思うが、風呂になるとちっともときめかないのは、なぜだろう。誰が入れても変わらないからか。
【タイトル画像について】
「みんなのギャラリー」にて「コップ」で検索し、「お絵描き しずかなインターネット」のサトウさんにお借りしました。#3DCG のタグがついているのでCGアートでしょうか。ありがとうございます。
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