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日記/ またゝく間にかわいてゆく

平日、いちにちの大半が仕事であり、仕事は、日記には適さない。面白みもなかろう、専門の話も野暮である。だいいち、今日び、ママンプラの遵守がうるさい。ともかく、繁忙期の金曜日ともなれば、からだの事情で、疲労がたまりにたまっている。毒沼をあるきながら、ホイミ、毒沼、ホイミ。その間にも、雪かき、食器洗い、洗濯、雪かき、掃除、お迎え、雪かき、などの魔物モンスター遭遇エンカウントする。すさむのだ。かわくのだ。つかの間の小休止、ベッドに寝ころぶ。枕頭には、秀雄ちゃんの「初期文芸論集」。

金曜日の午後に読む・・ものではない。かわくのだ。やたら噛み付く、論破される気はない、帝大出のひろゆき、と索然たり。すさんでいるのだ。こんな日には、ただ岩波の活字を眺め・・ます。「疲労した心は社会から逃れて自然に接しようなどという奇妙に抽象的な願いを起す。社会と絶縁した自然の美しさは確かに実質ある世界には違いなかろうが、またそんなものから文学が生れるはずはない」と『故郷を失つた文学』より。文学の門番みたいな顔して、なにを言っているのだろう。妙にかりかりして、秀雄ちゃんも、相当にかわいているのだ。うるおい、これが必要である。必要かどうかは、知らん。単に、わたしはうるおいたい。音楽、甘いもの。そして、書くこと。

Simon and Garfunkel  'Mrs. Robinson' がビンゴ。欲しいのは癒しなどではない、うるおい、これが存外、難しい。ポールはジーンズのポケットに親指引っかけ、ひざでやんちゃにテンポを踏む。アートは気のいい職人みたいに、リズミカルなストロークでポールのお世話をする。そして夕焼けのようなライトが、かれらの背景を軽やかに照らす。娘からもら奪ったハイチュウをかみながら、ときたま目をつぶり、わたしはうるおってきた。ばいばい、秀雄ちゃん。いまならば、3万を超える1月の電気代のことも、月曜日の処方箋が多忙にまぎれて、こっそりと期限切れしていることも、うるおったわたしにかかれば、なあに、なんのことはない。足が、ポールのように動きはじめる。テンポを踏んでいるのではない。かりかり、かりかり、と、地団駄のようなものを、どうも踏んでいる。なんぼ音楽を聴いても、懐はうるおわない。眠くなるまで、小林秀雄でも読もうか。それとも、まだなにか書くのが、よいのだろうか。結局、わたしは、この風雪のなか、ビールを求めて旅に出るのだ。


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