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教師のマインドチェンジ 〜「教える」から「教えない」へ〜

出歩くことは好きですが、久しぶりに東京に来て人やお店、みたいものが多すぎて、選択肢が多いと判断できないことに気づいたOKAMASAです。

さて、今回も西野亮廣講演会の話から教育について考えてみたことを書きます。前回の記事はこちら

結論から言うと、

”これからの教師の役割は「教えない」”です。

前から言われてきたことなので、改めて私が言うことでもないですが、何度でも何度でも、誰もが言い続けないと、ついつい教えたくなってしまうので、あえて言います。「教えない」です。

では、何をするのかですが、その前になぜ「教えない」のかです。それは、先生でなくても教えてくれるツールが身近にあるからです。インターネットの存在です。つまり、インターネットを使って、自分から情報を取りにいけるようになったからです。それも膨大な情報を。テキストだけでなく、図解を加えた動画付きで解説してくれるわけです。前回も書きましたが、以前までは先生がインターネットだったのですが、一人一台タブレットを手にしたことで、学校でも、家でも「先生」がそばにいてくれるようになりました。

子どもたちに教えたくて先生になった人も多いです。私もその一人です。教えたいのです。教えたら喜んでくれた経験をすれば、さらに教えたくなるのです。でも、時代が変わりました。こんな時代になるなんて想像していませんでした。でもなったのです。もし教えたい思いが抑えられないならば、「学び方」を教えることです。内容をそこまで教え込むことは必要なくなりました。学び方を身に付けさえすれば、必要な時に学べます。必要な時に学べるのは、学び方が身に付いていなければいけません。だから身に付くように仕掛ける必要はあります。

そこで、ポイントになるのが、「問い」です。

学び方を教えると言っても、技能的な側面が強いので、反復練習が必要です。反復練習をするためには、何度も使って情報を引き出したくなるような「問い」が必要になってきます。一問一答的に答えが決まっていて、早く答えにたどり着くことを競うような「問い」では、学びは生まれません。子どもたちは学び方を習得しながら学びに繋がっていく。この繰り返しによって、大人になっても「学ぶ」ということがことができるのだと思います。

では、どのような「問い」がよいのでしょうか。そのヒントが、西野亮廣講演会での話の中にありました。

「人と人とのコミュニケーションを深めるには、『不便』をデザインする」

西野氏は、自然とコミュニケーションが起きるように、意図的に「不便」を仕掛けるとおっしゃっていました。例えば、イベントを開催する際の受付付近に少し段差を作っておく。あくまで意図的にです。主催者は困る人が出てくることを想定して、手助けをするスタッフを配置しておく。ここにお客とスタッフのコミュニケーションが生まれる。

誰もが困らないようにスロープをつけることはできます。しかし、その優しさがコミュニケーションの機会を奪ってしまっている。便利になればなるほど、人の力を借りずに個人で課題を解決できてしまいます。AIの活用で、ほどなく自分の好みの情報を手に入れることができる時代です。しかし一方で、一人では解決できない社会問題が山積しています。そこで必要になってくるのはコミュニケーション能力です。人と関わり合いながら、個々の得意を活かし、課題を解決していく。コミュニケーション能力はこれからの未来を生き抜く子どもたちに必要不可欠な要素になります。

では、子どもたちにとって「不便」と感じる「問い」とは何か。

それは、「答えのない問い」です。

答えがない問いなんてあるのかと言われると、問いには何かしらの答えはあります。(学生の頃に「解なし」という答えにはびっくりしましたが。。。)テスト問題に関しては、必ず答えは一つです。しかし、答えが一つしかない問いならば、意見交換して答えを導くような活動は非効率的です。解き方、調べ方などを身に付けて、最短距離で答えにたどり着くことが重要になってきます。

社会が抱える課題は、簡単に答えがでるものではありません。さらに言うと、答えが一つではありません。何が正解かもわかりません。それでも課題を解決するために何らかの行動をとっていかなければなりません。そのためには、関わりのある人と意見交換をして、一つの答えを導き出す。それに基づき試してみながら修正を加える。この繰り返しで課題解決に繋げていく。

学校教育の中で、このような体験をできればよいのですが、決められた内容を学習する必要もあるので難しいですが、これまでのテスト問題のような一問一答的な問いから少し変えることで擬似的な体験をすることはできると考えます。

例えば、
「織田信長が勢力を強めた一番の要因は何か」
「この曲想は何によって表現されているのか」
「この絵画に込められた作者の思いは何によって表されているか」
「学区内にコンビニエンスストアを出店するならどこにするか」
「筆者の考えがより伝わる文章にするにはどうするとよいか」

一言では答えられないし、自分なりの答えを導き出したとしても、他の人の答えも聞いてみたくなるような問いであると思います。一人で調べて考えたり、友達と意見交換したりしながら、自分なりの答えを導き出す。その答えの中には、決められた学習内容が含まれています。

このような問いの答えは「教える」ことではありません。

問いを変えることによって、必然的にコミュニケーションが生まれる。コミュニケーションによって、自分では気付かなかった答えを知り、新たな答えが生まれてくる。この経験を通して、課題解決にはコミュニケーションの重要性を実感するようになり、社会で課題に直面した時に、積極的に人と関わり合うことができるのではないでしょうか。

「教える」から「教えない」へ。
教師のマインドチェンジによって、楽しい未来が待っているように思います。

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オカマサ
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