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レゴブロックによる「現在地調査」(2024年11月度)。

こんにちは。かなり蓄積した疲労の関係で三連休を取っています。よる年波には勝てないと申しますが、この年齢を迎えてみて正しく理解できるようになってきました。


終わりを思い描くのは難しい。

子供の頃に死の淵まで行って以来死生観について考え続けている。人はいつか死ぬわけで、その最期の時には無でいたいと思いながら過ごす毎日。あまり先のことを思い描くことが難しく感じてしまい、50年後の未来などもってのほか。目の前の半径5メートルに全力で意識を向けているのがまさに今。

7つの習慣でいう「第2の習慣:終わりを思い描くことから始める」でも表現されている自分の葬儀のシーン。7つの習慣と出会った1990年代にはなかなかイメージできなかったものの、漠然としながらも今はようやくおぼろげながら見えてきた気もする。この件についてはまた近々にでも書こうと思う。

自分の葬儀の場面を思い描いてみて、あなたは一瞬でも、自分の内面の奥深くにある基本的な価値観に触れたはずだ。それはあなたの内面にあって影響の輪の中心にある、あなたを導く価値観と、束の間でも触れ合ったのである。

スティーブン・R・コヴィー「7つの習慣 人格主義の回復」
「第2の習慣:終わりを思い描くことから始める」
「終わりを思い描くことから始める」とは? より引用
2024年11月の現在地。

「現在地調査」開始。

さて現在地調査を始めます。自分自身は左側にいる。頭の上にはスパイラルした情熱・冷静・良心・意志。情熱が一番上にあるのは今まさに次のステージを考えているからかもしれない。道の先には風車と、そして自分を見つめる目がある。その向こうに人生を降りるための梯子が据え付けられている。

自分の左前には高い塔と緑の旗。目前に存在する課題や困難をイメージしているのだろうか。実際に大きな問題を抱えながら生きている。それらを避けて右側の道を進むという選択もある。そこにはお金や地位や幸福が転がっていて、一見素晴らしい歩みを迎えられそうではあるのだがそうもいかない。

比較も意識して、先月の作品と並べてみる。

2024年11月度(左)と2024年10月度(右)

半径5メートルを悲しませるようなこと。

10月の作品で自分自身を表現していた薄緑ー緑のボディはそのまま問題や課題となっている。たしかに最近身体の不調が激しい。実は自分の隣には花の上に目がついた構造物がある。先月の若者そのもの。これまで実践してきたコーチングなどは本当に意味があるのかと自問自答してしまう作品である。

人のことも勿論大事だがもっと自分自身も大切にしなければならない。このレゴ作品からそう提言されているような気がしてきた。人間の寿命が100年時代を迎える昨今、半径5メートルを悲しませるようなことをしていてはいけないのかもしれないなと素直に思った。それがわかるだけでもありがたい。

レゴ作品は人生の縮図だ。

レゴブロックにはそれ自体に意味がある場合と構成することで意味を見出す場合とがある。前者には明確な意図が多く存在し、後者には気づきの観点が多く存在する。LSPの通して「レゴ作品は人生の縮図」と言われるのは、たとえ後づけであったとしても、それも人生だと言ってしまえるからだろう。

気づけば赤く透明な魂の上に立っている

自分自身が赤い透明なブロックの上に立っていることに今更ながら気づく。これはもはやブロックではなく「魂」なのだろう。たとえ身が滅ぼうとも人間の魂は永遠に続く。今を大切により左側の半径5メートルを大事にすることこそ自分にできる最大限の人生の謳歌。どう生きるかなのだと確信した。

最後に。

しっかりと睡眠を取っているおかげでかなり回復している。今週からは更に多くの役目が目の前にあるので歩み続けるしかない。「死ぬこと以外かすり傷」と語った方がいた。だったら、死にかけること、で一体どんな傷を追ったのだろうか。思い出そうとしたが長期記憶からは戻ってきそうもない。

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