【感想】劇場映画『TAR/ター』
「TARという映画がとんでもないらしい」と知ったのは昨年末のこと。
ベスト映画1位
ベスト監督1位
ベスト脚本1位
ベストパフォーマンス1位(主演のケイト・ブランシェット)
当時は「今年度のアカデミー賞の本命はこれなのか」と思ったものである。
(結果はトッド・フィールドまたしても無冠…)
公開初日に早速鑑賞してきたわけですが、とんでもない怪傑作でした。
いきなりエンドロールのように真っ黒な画面にクレジットが流れる仰天のオープニング。
戸惑っていると本編スタート。
“ほぼ”w
膨大な台詞が流れながらいきなり炸裂するテンポのいい編集。
ここで「男社会で戦ってきた、先進的な考え方を持ったカリスマ女性指揮者」という印象を観客に植え付けるのが上手い。
(その第一印象は映画を観る内にどんどん覆っていく)
そこから序盤は長回しが結構多用された作劇。
この講義のシーンはマジで凄かった。
長回しなんだけど途中途中でカメラが止まってフィックスの構図になるから「ワンカット長回しのカメラワークやってんなぁ」という感じも薄まっている。
実にスマート。
さらにトイレはじめ鏡やガラスの反射を使った虚像のカットが数多く挟まれている点も見逃せない。
自身のやったことが跳ね返ってきてキャンセルされる主人公の未来を暗示しているかのようである。
その意味ではこの映画のファーストカットのスマホ画面も示唆的。
主人公のターが動画で盗撮されており、そのライブ映像の上で何やらメッセージがやり取りされている。
指揮者として演奏者や仕事仲間、オーディション応募者を見る側に立っている主人公が実は見られている。
見る・見られるの対称性という古典的ながらも今なお非常に効果的な映画表現。
(もちろん指揮者は設定としては観客から見られる位置にいるが、本作は客前のシーンが少なく構成されている)
しかもあの映像は若いチェリストのオルガが撮っていると思われるが、それを明示しないのが本作らしさ。
いや、そもそもオルガは何者なのか?
本当にただの新人チェロ演奏者だったのか?も怪しいと思えば怪しくなってくる。
そう、本作は観客の解釈の余地・幅をかなり残した作り。
トッド・フィールド自身もそれは意識的にやっている事のようだ。
中盤以降、主人公の精神バランスが狂い始めてからは前半のエレガントな長回し撮影は影を潜めてショットと編集が切れ味を増していく。
後半は単発のショットが続くが、ハッとさせられるものが本当に多い。
白と黒を基調にした色彩設計と逆光を多用した構図。
奇妙なアングルも増えていく。
走行中の車
走るシーンの横スクロール
コンサート会場の階段
『地獄の黙示録』オマージュの川
個人的にはこの辺が好きだった。
そして本作最大の妙技が編集。
とにかく大胆に切る。
例えばオルガがターの家に到着して「今からレッスンが始まるんだな」と思ったらカットが切り替わると帰りの車内。
練習のシーンは全カット。
このように「え?そこ描かないんだ」というシーンが多々。
観客を置き去りにして半ば混乱させる編集になっている。
NHKのシン・仮面ライダー製作密着ドキュメンタリーで庵野秀明が
という趣旨のことを言っていたが、本質的にはそれと通じるものだと思う。
前後が明確に繋がっていなくても映画は成立してしまうのだ。
だからこそ観客は目にした映像を咀嚼して省略されたものを考えざるを得ない。
なので「解釈の余地がたくさんある」というよりは「自ら積極的に解釈しないことには何が何だか分からない」という方が適切かも。
脚本(ストーリー)上もフランチェスカやセバスチャンはバッサリ途中退場。
再登場して物語のキーマンになるとかも一切ない。
そもそも主人公がキャンセルされる発端となったクリスタという人物も、そしてクリスタとターやフランチェスカとの間に実際に何があったのかも観客には十分には開示されない。
見せられるのはメールの一部だけ。
映像だけでなく脚本も編集(省略)が効きまくっている。
16年ぶりの新作でここまで映画的な映画を作ってしまうトッド・フィールドもまた“モンスター”である。