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【感想】Disney+ドラマ『オビ=ワン・ケノービ』第1〜3話
第3話。うーむ、そろそろストーリーが進むかと思ったらまだ足踏み。これは脚本の問題だが、緊張感の欠けたアクションシーン(戦闘フィールドが謎に広くて逃げ放題だから殺るか殺られるか要素が皆無)を見るにデボラ・チョウの演出にも問題ある気が… https://t.co/bOQMRn3HQG #オビワンケノービ
— 林昌弘,Masahiro Hayashi (@masahiro884) June 1, 2022
1987年生まれで新三部作世代の自分にとってはなかなか由々しき事態であるw
第2話の時点ではまだ様子見と思っていたのだが、全6話を折り返し地点に来てもまだエンジンがかかってこない。
オビ=ワン・ケノービ(5/27):第1・2話。もう冒頭から新三部作世代には感涙モノw話はまだまだ前フリ、ようやくエンジンかかったという感じか。監督は満を持してデボラ・チョウ。脚本も『マンダロリアン』っぽいプロットではある。真上から撮ったアングルの多用が印象的。 https://t.co/bOQMRn3HQG
— 林昌弘,Masahiro Hayashi (@masahiro884) May 28, 2022
不満の方が多くなるかもしれないが感想を書いてみる。
(なので肯定的意見や絶賛評しか読みたくないという方はここで閉じて頂く方が賢明です)
良い点1:オビ=ワンと視聴者が共有する秘密を活かした脚本
まず、自分は本作を「褒める点の無い駄作」とまでは思っていない。
エピソード3『シスの復讐』から10年後のオビ=ワンの描き方は悪くないと思っている。
ここで少し脚本の一般論の話を。
良く出来た脚本とは何か?
そりゃ書かれたストーリーが面白いことだろと言われては返す言葉も無いのだが、僕はそこに「登場人物に感情移入させる仕掛けが整っている」ことを付け加えたい。
この実現のために「主人公(厳密には特定の登場人物)と観客だけが共有する秘密事項」が使われることが多い。
主人公には実は隠している過去がある。周囲の人物はそれを知らないため過剰に恐れる(もしくは逆に危険な人物が目の前にいることに気付かない)
劇中のある人物の恋心を観客は知っているが、肝心の好意の対象者は気付いていない(ラブストーリーの定番)
危険な場所・相手だと観客と主人公は知っているけど劇中の誰もそれを信じない(ホラーの定番)
軽く例を挙げてみたが、こういった事例は星の数ほどある。
こういった“秘密の共有”があると観客は「辛いよね…私だけはあなたの気持ちわかってるよ」と共感したり「いや、だからその行動指針は完全に裏目だよ!馬鹿なのかよ!」とフラストレーションを溜めたりし、それがラストで解消した際のカタルシスに繋がる。
(もちろん解消しない場合もある。例えば少女漫画の当て馬キャラ)
ちなみに押井守監督や神山健治監督はこれを「脚本の構造」と呼んでいるそう。
本作を観る層はオビ=ワンの過去はほぼ確実に全員が知っているわけで、それを前提として
銀河を守るジェダイの騎士だった人が日雇い労働者として暮らしている。
レイア姫からも怪しいおじさん扱い(苦笑)
フォースもライトセーバーも長らく使っておらず腕も落ちている(新三部作ではあれだけ動けたのに!)
といった秘密事項を共有している。
それにより観客は「くそ!俺たちのオビ=ワンが今はこんな有様に!本当は強いんだぞ!」とフラストレーションを溜めて作品に入り込める構造になっている。
第2話のフォースを遂に解禁するシーンはそれがカタルシスに繋がった好例。
ただし、そもそもエピソード4『新たなる希望』への繋がりを考えると本作でオビ=ワンが銀河を救うことはあり得ないので「オビ=ワンは本当は強いんだ!」というカタルシスを得るのは難しいかもしれないが…
ちなみに第3話のライトセーバー戦について「オビ=ワンが弱すぎる」という批判があるようだが、それ自体はむしろドラマに入り込ませるための脚本上の仕掛けというか、そのように観客を怒り心頭(?)にさせることこそが狙いなんじゃないかという気がする。
(ただしアクションシーンの質はまた別の話。後述)
不満点1:オビ=ワン周り以外の脚本
ただ、本作はオビ=ワン以外の脚本が正直あまり良くない。
特に心配なのがサード・シスター。
彼女の過去が特に描かれていないので「なぜそんなにオビ=ワンに執着するのか?」が見えづらくなっている。
なので自分は正直「よく知らないキャラクターが帝国軍の方針とは無関係になぜかオビ=ワンを追ってきている」と見えてしまって今のところストーリーにはあまりハマっていない…
軍という規律に最も厳しい組織の中であんなに私怨で動いていてなぜクビにならないのか?というツッコミどころは一旦置いておこう。
地球にはもっと無茶苦茶やってる軍人パイロットもいるしな。
正体不明者が理由は分からないが追ってくるというのはホラー作品ではよく使われる手法だが、本作のサード・シスターは素顔を見せた人間キャラとして描かれているので我々と同じ基準で行動原理を考えてしまう。
これがそれこそ顔を仮面で覆っていたり、いっそドロイドだったらまた違うのかもしれないが。
(念のため書くとモーゼス・イングラムへの人種差別の意図は全くありません。脚本の問題であって俳優の問題では全くないので)
また、ストーリーも第3話時点ではレイア姫の誘拐事件に端を発する惑星間追いかけっこに終始しており、あまり話が前に進んでないというのも微妙に感じてしまう。
追う側の物語が描かれていないのにストーリー上は追う・追われるが中心なので。
不満点2:アクションシーン
本作は全6話の演出をデボラ=チョウが担当している。
『マンダロリアン』シーズン1からの抜擢。
担当回の第3話は神回と呼ばれるのも納得の素晴らしい出来だった。
だから結構期待していたのだが…少なくとも今のところアクションシーンがあまり良くない。
まず、第1話のレイア誘拐シーンはもはやコントみたいになってしまっていた。
あれは本来ならレイア姫だけが走るシーンを撮って「客観的にどれくらいのスピードが出ているかはともかく、本人は全力疾走で逃げている」という心理描写にしてから先回りされて捕まるのが定石と思う。
追手も同じ画面内に収めると「え?小さな女の子の走りに追い付けないの?」と何とも間抜け感が出てしまう。
第2話のビル屋上を次々にジャンプしていく逃亡劇。
これもカメラアングルを色々切り替えて編集で工夫しているのは伺えたのだが、サード・シスターとオビ=ワンの位置関係の情報不足がもったいない。
本来このシーンは
逃げるレイア姫を確保しなければいけない。
オビ=ワン自身が賞金首になってしまったので賞金稼ぎに妨害される。
その銃撃戦に気付いたサード・シスターが迫ってくる。
という三段構造なのだが、3番が上手く機能していない。
サード・シスターがどれくらい近付いてきているかを示すカットが無いので緊張感がイマイチ生まれないのだ。
しかも途中でサード・シスターのシーンが長らく映らない時間があるから一層中途半端に。
そして第3話のライトセーバー戦。
ここは2つ問題があったと思う。
ファン待望の“再戦”なのに溜めもなくあっさり始まった。
歴代のライトセーバー戦を彩ってきた地形の制約が無い。
1はまぁ好みの問題ではある。
確かに仰々しく盛り上げれば良いというものでもない。
ただ、一応は本作最大の関心事なわけで、あまりにもあっさり始まりすぎてはないかとw
『るろうに剣心』で言うところの「剣を取れ抜刀斎!」シーンなわけで、長年封印してきたライトセーバーを意外にあっさり抜刀しちゃうのねと。
変わり果てたアナキンに再会した動揺という見方も出来るが、自分は肩透かしを食らったようで残念だった。
2番は撮り方の問題。
アクションシーンに重要なのは制約。
何でも出来る自由なアクションシーンは面白くない。
スター・ウォーズでは主に「ここから落ちたら即死亡」な地形での戦闘シーンが描かれてきた。
宇宙ステーションの高いタワーみたいな場所での戦闘
周囲をマグマに囲まれた狭い場所での戦闘
そうすることでスペクタクルやサスペンスのハラハラドキドキが生まれるし、アクションの動きにも自然と展開が生じる。
ところが、第3話の戦闘シーンの地形は広い採石場。
オビ=ワンが逃げてはベイダーに捕まるを繰り返せるぐらい広大らしいのだが、あれでは緊張感が生まれない。
格闘技で例えるならリングやケージが無制限に広いみたいな状態なので。
そもそもデボラ・チョウはアクションが撮れないのか?とも思ったのだが『マンダロリアン』シーズン1の第3話を観るとそんなこともないと思うのだが…
あれは奇跡のラッキーパンチだったのだろうか。
残り3話、何とか巻き返してほしいなー