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大学の存在意義を問う〜専門性と哲学の狭間で

大学の風景が変わりつつあります。新しい学部が次々と誕生し、新しい名称の学科が設立される昨今、大学の本質的な役割とは何なのでしょうか。専門学校との境界線が曖昧になりつつある現状に、一石を投じたいと思います。スキルや技術の習得に偏重する傾向が強まる中、大学本来の使命である「考える力」を育む場としての機能を再構築する必要があるのではないでしょうか。


大学の存在意義を問う

大学の存在意義は表面的には見えにくいものです。理想論と呼ばれるかもしれませんが、その本質について語らざるを得ません。しかし、現実の大学の方向性は、この理想とは異なる方向に向かっている可能性もあります。

専門学校化する大学教育

最近の大学のカリキュラムや内容を見ていると、専門学校との境界線が曖昧になっているように感じます。つまり、スキルや技法、知識といった具体的なものを中心に教育しようとする学部が増えているのではないでしょうか。

例えば、画像編集ができる、音源編集ができる、簡単に作曲ができるといった、比較的短期間で習得できる技術を前面に押し出した学部が増えています。これらのスキルは確かに重要ですが、大学教育の本質はそこにあるのでしょうか。

私の出身は農学部です。農学部では、ダムの作り方や、都市計画における緑地設計など、具体的な技術や知識を学びました。これらは「各論」と呼ばれる個別的な技法です。一方で、「総論」と呼ばれる俯瞰的な視点も重要です。例えば、緑地をデザインする際に、人類の幸福のためにどのような配慮が必要かといった全体的な視点です。

各論と総論のバランスは極めて重要です。両方が必要不可欠なのです。しかし、最近の傾向を見ていると、各論ばかりが強調されているように感じます。しかも、高校生の興味を引くような学部や学科が次々と設立されているようです。

学問の本質を問う

私が所属する京都精華大学は、もともと芸術学部から始まり、人文学部も設立されました。ここでは、学問とは何か、なぜ研究するのか、自分と研究の関係性はどうあるべきかといった根本的な問いを、真摯に自分のこととして捉える姿勢が重視されてきました。

これは一見すると回り道のように思えるかもしれません。例えば、音楽を学ぶ場合、ピアノを弾いて気持ちよく感じたり、素敵なコードを見つけたりすることも大切です。しかし、それだけでなく、人間にとって音楽とは何か、作曲行為の本質は何か、人間と神と自然環境の中で音楽はどのように位置づけられるのかといった、より深い問いを探求することも重要です。

音楽の流通や表現の限界、作り手と受け手の関係性など、様々な角度から音楽を捉え直す必要があります。音楽は物質的なものではなく、精神的なものですが、なぜそのようなことが可能なのでしょうか。ピアノやトランペットといった有形の楽器を使って演奏しているにもかかわらず、時として物質を超越した世界観や状況を表現することができます。これはなぜなのでしょうか。

こうした問いは、一見すると「何を言っているんだ」と思われるかもしれません。しかし、これこそが哲学であり、感性学(エステティック)なのです。これらの学問と対話しながら、なぜ演奏するのか、そもそも人間とは何かといった根本的な問いに向き合う必要があります。

確かに、これらの問いに明確な答えはないかもしれません。しかし、自分なりの仮説を立て、それを検証していく過程こそが、研究や表現の本質ではないでしょうか。

メタ認知の重要性

このような深い思考プロセスは、一見すると面倒くさく、いつ終わるかわからないものかもしれません。「こんな教養的なもので飯が食えるのか」「YouTubeで動画一本作れるのか」といった声が聞こえてきそうです。

しかし、これは長期投資のようなものだと私は考えています。短期的な成果や即効性のあるスキルばかりを追求することは、確かに人を引き付けやすいかもしれません。しかし、それだけでは不十分なのです。

道具を使う人間の存在意義や、長期的なメリットを考慮しながら学ぶことが重要です。自分が今やっていることを客観的に見る「メタ認知」が大切なのです。メタ認知とは、今の自分の状態や行動を一歩引いて観察し、分析する能力のことです。

メタ認知は、何かにつまずいたときや長期的に何かを続けていく上で、非常に重要な役割を果たします。それは振り返りの過程であり、お金には直接結びつかないかもしれませんが、むしろお金に換算できないからこそ、思考のプロセスを深掘りしていくためには必須なのです。

大学の真の役割

専門学校には専門学校の良さがあります。決して専門学校を批判しているわけではありません。しかし、大学の意義は専門学校とは異なるはずです。大学では、単なる技術の習得だけでなく、その技術の背景にある思想や哲学、さらにはその技術が社会に与える影響まで考える力を養うべきではないでしょうか。

私自身、技術的な授業をたくさん教えていますが、その際には必ず最初にこのような話をします。すると、学生たちは「そうなのか」と考え始めます。これこそが、メタ認知やメタ知と呼ばれるものです。知識や技術そのものだけでなく、その知識が何なのか、自分とその知識との関係性はどうあるべきかを認識することが重要なのです。

このような姿勢を示す教員でなければ、私は信用できません。いきなり「はい、Adobeを立ち上げましょう」「ここでこの操作をすると、こんな絵が描けます」といった具合に授業を始める前に、なぜそのソフトウェアを使うのか、どのような思想や哲学に基づいて設計されているのか、既存ソフトの限界とは何か?といった背景や周辺環境を理解する時間が必要です。

教員の立ち位置

最後に、教員の立ち位置も重要です。なぜここで教えているのか、研究と自分との関係性はどうなっているのか、学生に何を伝えたいのか。こうした教員の姿勢や態度が、学生に伝わらなければ、大学としての存在意義が薄れてしまうのではないでしょうか。

今日は、大学の存在意義とは何かという根源的な問いについて、私なりの考えをお話ししました。これは非常にメタ的な視点かもしれませんが、主観的な感覚として皆さんにお伝えしたかったのです。

大学は単なるスキル習得の場だけではありません。深い思考力を養い、社会や人生の本質的な問いに向き合う場所であるべきです。そのためには、教員も学生も、常に自分の立ち位置を意識し、メタ認知を働かせながら学びを深めていく必要があります。

この大学論が、皆さんの学びや研究、そして人生に何らかの示唆を与えられれば幸いです。大学という場所の可能性を最大限に活かし、真の知性と創造性を育む場として発展していくことを願っています。

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小松正史
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