目の前の1人に向けた、モノ・コトをつくり続ける。|『シンドラーのリスト(1994)』
前は新年の抱負を手帳の1ページ目に書いたりしていたんだけど、今年からきっぱり辞めました。そもそも、手帳も持たないようにした。結局書かなくなるし、手帳とは別に日記帳があるから、それで事足りるとも思うし。なので、今年のお正月は特に何か新しいことを始めたりはせず、積読していた本や観たかった映画で時間を過ごしていました。年々、お正月の特別感が無くなっているような気もするんだけど、まあ、それはそれとして。
映画『シンドラーのリスト(1994)』
ただ、そんな僕だけど1つだけ継続しているお正月の習慣があります。それは、映画『シンドラーのリスト』を観ること。この映画は第二次大戦時のホロコーストの最中、迫害を受けるユダヤ人の命を救ったオスカー・シンドラーを描いた作品で、監督はスティーブン・スピルバーグ。上映時間は195分とだいぶ長いのですが、僕はこの作品を事あるごとに何度も観ています。
どうしてだろう、と自分でも考えているうちに思い出したんだけど、この映画は僕が20歳かそこらの時にたまたま何かの機会で観て「この映画はただ事じゃない。利害を超えた人間の交わりがあるのだ」と思ったんだよね。そもそも、オスカー・シンドラー自体、単にユダヤ人を救った聖人…というのでなく、善も悪も持ち合わせている人間だ。当初、ユダヤ人を自身の工場労働者に雇った理由もポーランド人より日給を安く抑えられるからだし、放埒な振る舞いは当時からプレイボーイとして有名だったという。しかし、そんな彼も次第にユダヤ人の命を救いたいと思い、結果的には1100人ものユダヤ人を救った。終戦後、彼がドイツを追われ、国外逃亡した際(彼はナチ党員だったので)にはほとんど資産を使い切っていたというエピソードにも、危機的状況にも関わらずユダヤ人を救おうとした、献身的な姿がうかがえると思う。
前もnoteでちらっと話したんだけど、立派な人なら「どんな状況でも差別もしないし、いつでも理性を保っていられる。ましてや600万人もの民族を死に追いやるホロコーストになんて加担しない」と言えるのだろうけれど、僕なんかは正直、自信が無い。体制にのまれ、無意識な暴力を誰かに向けてしまうのではないかと思っています。僕は、根っこのところで「性善説」を信じている部分がある。だからこそオスカー・シンドラーのような善も悪も合わせもった人間の行動に奮い立たせられ、立ち向かおうとする勇気をもらっているのかもしれない。それは時に人間関係への勇気かもしれないし、仕事に対するものかもしれない。そういう指針を再確認したいから、僕は毎年の始めに、この映画を観ているのかもと、今思いました。
“1人の命を救うものが、世界を救える”(タルムード)
僕らは普段、実態の見えない世界で生きている。仕事にしてもそうだ。僕の仕事であるコピーライティングも主にWebサイトに掲載されており、実際に誰が、どんなシチュエーションで見ているのか、統計データでしか判断できない(もちろん、SNS等で反応があれば別だけど)。自分のこれまでを振り返っても、何百、何千もの人と触れ合っているはずなのに、全員の顔と名前を思い出せない。
僕らは日々、人間と触れ合い生きているにも関わらず、本当にその実態を感じとって生きているのだろうか。雑な括りで、漠然と向き合っていたんじゃないか。架空の、都合の良い状態を作り出して満足していたのではないか。
もちろん、どれだけ実態を捉えようとも、それは現実的には不可能だ。例えば、コピーライティングにしろ、コピーを読む人がこちらの考えるシチュエーション、心持ちで読んでくれるとは限らないし、読む人の年齢も、性別も、さまざま。それに、自分が思ったように言葉が伝わるとも限らない。解釈違いを生んでしまう場合だってあるだろう。でも、だからといってこちらの勝手な言い分ばかりを押し通すのも絶対に違う。では、どうすればいいのだろう。
つまるところ、やはりそれは「想像」に任せるしかないんじゃないかと思う。月並みな表現になるけれど、相手と僕との共通点や分かち合えそうな部分から、足りないところを補おうとする試み。大勢に向けて何か伝えようとするのではなく、目の前にいる人に向けて「何を言うべきか・言って欲しいか」を考えること。とまあ、偉そうにベラベラ言ってる割に自分がそれを出来ているかと言われたら、まあ自信は無いのだけれども。ただ、少なくともそう思おうと取り組むこと、偽善的かもしれないが「やらぬ善よりやる偽善」のほうが、救われる状況もあるんじゃないかと思います。
2024年、明けましたね。
とまあ、新年明けたわけなんだけど、僕は僕でせっせと仕事や何やらに取り組んでいます。今年もたぶん、かなり忙しくなりそうなんだけど、僕にとってこの映画は「定点」と思っているので、事あるごとに見返すんだろうと思います。今年1年もよろしくお願いします。