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怒られる勇気で世界は割と変わるんじゃないか。

クリエイティブ業界にいらっしゃる団塊の世代の方の話を聞くと「とにかく、ジーパンで仕事がしたかった」といいます。
特に横文字職業…コピーライターとかフォトグラファーとか。そういうクリエイティブな職業のおじさんは大抵、ジーパンというのが何かすごく反骨精神のアイコンだったんだなと。

僕が社会人になった20年前でさえ、会社というのはコンサバティブなものだったように思います。
当時はクリエイティブ業界といえど、ハーフパンツで出社なんて、あまり許されていなかった。実際に、ハーフパンツで出社してめちゃくちゃ怒られたこともある。作業日だからいいじゃんって思ってたな。

古着のTシャツで出社したら、せめてジャケットを着るように促されたこともある。その時は、ジャケット買えるくらいの給料にしてくれよって言ったら呆れていたな。

今ではすっかり当たり前だけど、リュックで出社なんてのも割合白い目で見られていたように思う。どう考えても、両手が自由な方がいいに決まってんじゃないかと思っていました。

ある日、どえらいモヒカンにして出社して怒られてた先輩もいた。

今では、クリエイティブ業界に関わらず、割合自由なスタイルで出社する方は多いと思う。
団塊の世代のおかげか、ジーパンは当たり前に市民権を得ているし、ビジネス用のリュックなんかもごく普通に売っている&使われている。ハーフパンツ出社もまぁ許されることが多いのではないかと。いや、もちろんTPOは弁える前提なので、かしこまった場ではきちんとジャケットくらいは羽織りますよ。

こうして、いろいろな人がちょっとずつあちこちで怒られたりしながら、少しずつ社会のルールが変わっていくのは面白いことです。
いろいろな社会問題は、正面から戦うと大抵、ものすごいハレーションが起こって、解決には向かわないように思います。0か100かって言われても、そんなの全然分かんないし、答えなんて出ないから。
特にSNSって、割合そういう戦い方しかできないんだよな。もっと日常に中でちょっとハミ出すみたいなことが必要だと思う。
一人一人が、日常の中で、ちょっとハミ出しながら、ちょっと怒られたりしつつ、なんとなく変わっていくことというのは多いのではないかと。

結果、白い目で見られ続けるのであれば、結果的に世間の大多数がそれを非としたってことで、ごく自然に社会のルールが書き変わっていく。
その先にこそ、法律だとかそういうものが変わるわけで。法律から書き換えるなんていう力技はなんか違うんじゃないか、むしろそういう考え方は怖いとすら思うわけです。

そういう日常のルールのグレーゾーンを当たり前にする戦い方をみんなが日常の中で挑戦していくことが必要なんじゃないかと思っています。

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