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「鉄路の果てに/清水潔」読了。

景色でしか伝わらないことがある。

清水潔さんの「鉄路の果てに」はとても不思議な一冊で、親子の物語であり、友人との旅行記でもあり、歴史書でもある。まずは、このバランスが奇妙で、実はとても新しいのではないかと思った。

何かを直接ぶつけるのでなく、景色を通して伝えた方が、心に馴染むことというのは、ある。

景色の説得力に、自分の思いが全て投影されることや、はたまた景色に説得されたりするようなことは、人生で幾度かある。

寂しいと言葉にするよりも、この旅で描かれる寂しさは、言葉数は少ないのに饒舌で、心に深く染み入るものがあった。

今までの清水潔さんの著作に比べると、すごく私的で詩的でこれはきっと、いなくなった父に向けて書かれているのかなと思った。荒涼とした風景、そして同伴の青木先生の茶々入れすらも、すべて作者の寂しさを助長するように感じた。

景色も登場する人も、荒野をひた走る列車も、全てが作者の心象風景をなぞるために配置されたように感じてしまう。

ずいぶん年上の知り合いの社長が「父が死んでしまったら気持ちがなんだか迷子になってしまったようなんだ。60にもなって、情けないけどな。」と話していたことを思い出す。

僕の場合、戦後生まれの父親がなんども話す思い出は、いつもモノクロームで頭の中で再生される。いつか、父がいなくなったときに、僕も旅に出るのだろうか。

今のうちに父と2人旅に出かけてみようかな。

もちろん、一冊を通して、現代社会への警鐘という趣もあり、それにも胸を打たれた。こういうことを伝えるのも景色だと、自然に入ってくる。

ただ、それ以上に、作者の父への喪失感と、それを映すような景色がとても心に残った、素晴らしい一冊でした。

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