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平安時代、同性愛を示唆する歌々、拾遺和歌集
一般には万葉集は性をおおらかに詠うと言いますが、ただ、万葉集の性のおおらかさは男女の関係のもので同性愛を示唆するものは無いと思います。しかしながら、同性愛の研究者は古事記や日本書紀に現れる大和猛の熊襲征伐で、大和猛は少女に変装して熊襲猛を倒したとされるが、その前に日本書記の文章を見ると「杯を挙げて飲ましめつつ、戯れ弄る」となっていて、日本書記の時代の認識では熊襲猛は大和猛の体を抱き寄せて撫でていることから確実に男の子であることを認識していると指摘し、熊襲猛は俗に言う両刀使いだったと認定します。およそ、奈良時代、同性愛は周知ですし、両刀使いも周知のことだろうとします。ただ、繰り返しますが、万葉集には同性愛の歌は見いだせないのです。そこが拾遺和歌集との違いがあります。
他方、平安時代の拾遺和歌集の時代、性愛の世界はすべてのスタイルが、非常におおらかに歌に詠われ表に出て来ます。これが公式の表舞台だけの、ツンと澄ました古今和歌集の世界とも、お約束的に男女の恋と性を詠う後撰和歌集の世界とも違います。ある種、酒に酔った二次会以降の乱れた宴会芸のような世界です。今回、最初におさらいで以前に紹介した男性の同性愛の世界の歌を紹介し、次に女性の同性愛の世界を示唆する歌を紹介します。女性の同性愛は平城宮の発掘現場から用具である男根張型が見つかったことから、多分、そうだろうと考えられていますが具体的示唆する歌などは万葉集にはありません。それに対して、拾遺和歌集ではです。
先に拾遺和歌集から男性の同性愛を示唆する歌を紹介しましたが、ここでは文字数稼ぎと復習のために、再度、それを示唆する歌を紹介します。
歌番号 528
詞書 健守法師、仏名の、のふしにてまかりいてて侍りけるとし、いひつかはしける
詠人 源経房朝臣
和歌 山ならぬすみかあまたにきく人の野ふしにとくも成りにけるかな
解釈 山ではなく、他に住処がたくさんあると聞く人は、山伏ではなく、野に宿をとるとの言葉の響きのような、野伏に早くもなってしまったのか。
注意 野に臥す=里の娘を抱くの寓意があります。
歌番号 529
詞書 返し
詠人 健守法師
和歌 やまふしものふしもかくて心みつ今はとねりのねやそゆかしき
解釈 山伏も野伏も、このように修行をして心を見ました、今は僧侶らしく舎人の閨に泊まってみたいものです。
注意 野に臥す=里の娘を抱くの寓意があり、舎人の閨には男色の寓意があります。歌番号528のあちらこちらの里で女を抱いたかの返事です。
次の歌は詞書に示したように寛祐法師から宮中の童子への恋文のような歌で、身分や立場からすれば、朝廷内で伴の御奴(みやつこ)の立場である童子は寛祐法師に抱かれたと考えるものとなります。そこが、性愛への拒否権を持つ局や屋敷などを持つ独立した女性たちとの差でもあります。
歌番号 662
詞書 大嘗会の御禊に物見侍りける所に、わらはの侍りけるを見て、又の日つかはしける
詠人 寛祐法師
和歌 あまた見しとよのみそきのもろ人の君しも物を思はするかな
解釈 たくさん人々が集い眺めた大嘗会の豊の禊の行事の、その多くの人の中で、貴方の振る舞い・所作を行う姿に、気持ちを寄せています。
注意 寛祐法師から童子(年少の男児)への恋歌です。
もうちょっと、
次の歌の詞書と歌を一体と鑑賞すると、同性婚の最初の契りの夜のような解釈をせざるを得ないものです。
歌番号 850
詞書 元輔かむこになりて、あしたに
詠人 藤原実方朝臣
和歌 時のまも心はそらになるものをいかてすくしし昔なるらむ
解釈 最初の夜を過ごし別れて来た、この朝、一時の間も心は貴方を思って上の空になっているのに、一体、私は昨夜、貴方と過ごす前は、どのような日々を暮らしていたのでしょうか。
注意 元輔が実方の婿になった翌朝の歌です。それで同性愛と見るべきか難しいところです。
ここで本題の女性の同性愛を示唆する歌を以下に紹介します。歌の背景は女二人が連れ添って野に野老(ところ:多分、山芋)を掘りに行く姿を見て、賀朝法師が女同士で体のお楽しみの「寝る」をする「ところ」でも探しに行くのかと、からかったものです。それに付けられた返しの返歌は、余りに露骨な歌なので、世の中の決まり事ぐらい守れみたいな内容の歌になっています。しかしながら、この時代、女性の同性愛が良くあることなので、この種の歌が詠われたのでしょう。
歌番号 1032
詞書 春、物へまかりけるに、つほさうそくして侍りける女ともの野へに侍りけるを見て、なにわさするそととひけれは、ところほるなりといらへけれは
詠人 賀朝法師
和歌 はるののにところもとむといふなるはふたりぬはかりみてたりやきみ
解釈 春の野に野老(ところ)を探すと言うけれど、女二人同士で寝るいたずらをするような「ところ」は見つけましたか、貴女たち。
注意 山芋を野老(ところ)と言い、その野老と女同士が野合で寝る「ところ」との言葉遊びです。この時代、僧侶は男性同士の同性愛が前提で、その裏返しの背景があります。
歌番号 1033
詞書 返し
詠人 よみ人しらす
和歌 春ののにほるほる見れとなかりけり世に所せき人のためには
解釈 春の野に掘りに掘って探してみたけれど「ところ」はありませんでした、まず、世の有り様に逆らうような人のためには。
注意 「よにところせき」は、掛詞よりも単純に「世に処塞き」と解釈しただけの方が良いようです。
以上、紹介しましたが、源氏物語の紫式部が生きていた時代に、この拾遺和歌集が編まれます。このような明け透けの性愛を楽しんでいた時代に紫式部が生きていたと思うと、源氏物語を読むときの成る程感が得られるのではないでしょうか。