人生の醍醐味は滅びてから、甦ることだ(マルテの手記」を途中まで読んでみての感想)
久々にかなり私にとって響く本をみつけた。
それは「マルテの手記」だ。これほどまでに繊細かつ細かい粒子からなる、精神を持った男がいたとは。今の時代のように YouTubeや Instagramを初めとした強すぎる刺激がありふれている昨今では彼は20歳までも生きられなかっただろうに。
ただ漠然と幸せにあまり物事を掘り下げる必要がなく生きてきた、荒い目の精神を持った人の目には彼は理解できない。偏執狂や、時として「キチガイ」として映ったことであろう。
ただ私のように宿命によって物事を掘り下げなければ生きていけなかった人間からすると、彼の書物に散りばめられた個人的体験は、特別な光を帯び始める。
これはどちらの精神を持つ者が良いという訳ではないが、私個人として言えば、今は目に見えやすく、かつわかりやすいものが評価される時代だ。質より量が母数が多く目につきやすい分、結果評価をされる。
今の時代は何事も考えずにまず行動する者である、荒い精神をもったものが一番強いと思う。
だからこそもしあなたが自分を繊細な方だと感じるのなら、どこかで自分の中の何かを外に出しつづける、量を作る習慣を持ってほしいと願う。
「まだ〜で経験を積んでから」とか、「〜した後に〜」とか、自分の本当にやりたかったことに対して、そういうまだまだ病が許されるのは日本の学生までであり、私がみた限りこの実業の社会は、実は仕組みが違っている。
どれくらい違うかというとテニスの試合に出たいのに、ずっとソフトボールの練習をしている位愚かしいことだ。実はこの世界はその場に出て実際に初めてみて、初めて経験値が溜まっていく。だから何かしたいことや憧れる自分があるのならまず短くても小さくても、ダサくてもそれを始める。やりながら考える。最初はその高みで気圧差みたいのはあるかもしれない。高山病みたいなので息をすることすら苦しく悩むかもしれない。だけど大切なことはより多く経験値を積みたいのなら、これからはそこからできる限り逃げないことだ。
話が脱線しすぎたので話題を「マルテの手記」に戻すと、彼はとても繊細だった。
それは谷川の水を慕う子鹿の如く、ただひたすらに崇高なるものを求める無垢な男の姿がその本の中にはあった。彼は幼い頃壁の中から細くて白い手が飛び出す幻覚をみた。それからしばしば幻覚や妄想があった。だからこそ彼は全ての事柄に神を見出そうとした。そうせざるおえなかった。そして全ての物事には独自の大きな意味があり、そしてそれらは比喩なのだ。
だから時としてただの数字すら、特別な意味を帯びた。
マルテよ、私たちにとって一般的に言うところのあの頭が異常に回る状態、明晰な状態、脳の神経回路すら燃やすあの独特な陶酔はある意味ではあやうき非現実的な状態となり、夢と現実が入り混じり、そしてなにかを志向する。それが重大な意味を帯びているように思うが、私たちにはそれがどこに向かっているかすらもわからず、それはすべての意味を燃やし尽くす。わたしたちはそれらを神からの固有の恵みとして、それらを肚に落としざるを得なかった。
「人生とは、口にはできないけれど、ただ一人のためだけに定められた特別なものに満ちているのだ、と僕の中に、次第に悲しくも重い誇りが芽生えてきたのは確かだ。」
ーマルテの手記より引用
そう、それは悲しくも重い誇りだ。お前の悲しみはお前のものであり、俺の悲しみは俺のものだ。
マルテよ、お前のその生きた苦しみの足跡は手記という形で、私たちの「恵み」として残った。だから俺ものちに出てくる私たちのような人の為に、お前のように不幸でもより真なるものを、崇高なるものを求める。
私たちはかりそめの町の喧騒やネオンの光ではなく、我々の頭上の遠い憧れである、星々を求めた。たとえ曇っている日でも、晴れている日でも、雨の日でも。その挙句ずぶ濡れになり何度も病になろうとも、我々はそれを仰ぎ見続けた。
だが友よ、それは私たちだけではない。それを仰見続ける勇気を失わなかった人たちが、あのかつて世界を征服した西洋の偉大なる文化の象徴たる精神を、あの大伽藍を作ったのだ。
汝、人に語ることなかれ、
覚者は少なくして、人は嘲笑に生きんとす。
我は讃えん、汝が憧れし焔の死に至る生けるものよ。
汝を生み、生むことをなしたる
愛しきものよ、冷えわたる夜よ、
蝋燭の炎が静かに耀きしとき 幽けき畏れが汝に来たる。
はやく暗く悲しき途は
汝のものにあらず、汝、あらたに欲するなり
より高きものと結ばれんことを。
大いなる力に惹かれて翔ぶものに
その隔たりなどは、無きも等しき
あゝ 光に焦がれたる蛾よ、
汝は焼き滅ぼされん。
滅びて甦れ!
これ、ついに会得せざれば
汝は悲しく解し難き地上の
悄然たる顧客なるを知れ。
「至福への憧れ」より J・W・ゲーテ
(執行草舟による訳文引用 「友よ」より)