大丈夫だよ。俺も大丈夫だから。お前なら絶対大丈夫。(自己紹介2)
俺は元々少ないもので、満足な人間だった。
当たり前の幸せで、そしてそれでそれだけで、元々本当に十分な人間だった。
だからみんなが勉強したりする「意味」がわからなかった。だから、しなかった。
その先に、一体なにがあるのだろうと思っていた。
金持ちになれるならなったほうが良いのかもしれないけど、ならなくてもそれはそれで構わなかった。
安定なんて、しない方が人生は面白いと思った。
みんなと同じ人生なんてクソ喰らえと思った。
だから高一の時、ゲームをした。
しまくった。
pspやdsやwii、プレステ2などあらゆるゲームを改造しまくった。
そしてそれを周りの人にタダでやりまくってあげた。
お金は貰わなかった。
もともと色んなゲームを改造して、違法な行為スレスレだったけど、人に喜んでもらえたからそういったことをボランティアのようにそうしていた。
それに加えて「もっと大切な何かがある」そういった直感が、昔から心の隅にあったからだ。
それは利益を度外視して、目の前の人に喜んでもらうことだった。
「なんでみんなと同じようになることを、当たり前にみんなは望むのだろう」
それが俺にはわからなかった。
そして俺は馬鹿だから、例の如く自分のことを賢いと思っていた。
だから自分のしたいことがわからないのに、
当然の如くなんとかなると思っていた。
そんな小中学生だった。
俺はガキだったから、その「なんとかなる」という漠然とした希望こそが、人生を惨めにする大きな要因であり、別の言葉で言うならばそれこそが人生に絶望をもたらすということを、まだその時は知らなかった。
その後人と同じことが嫌なくせに、
人と同じように何も考えず高校に入った。
入試の時はそこまで悪くなかったから英数ともに一番いいクラスに振り分けられた。
それで調子に乗って周りを見下し、学校をなめた結果、さっき言ったようにゲームをしまくった。
そして高校一年生の時に留年したあと、その後その状況に耐えられなくて辞めた。
そこから色々と人生の風向きが変わった。
ドカタになったり、プロボクサーを目指したり、ごみ収集車の収集員をしたり、ホストをやったり、南の島でガイド兼カメラマンになって水牛を扱ったり、旅をしたり、色々した。
そして22歳の時発達障害の薬を飲んで、
いきなり人が入れ替わったように真面目になり、崇高な生き方を漠然と求めた。
自分がよく知りもしないところに、
慣れもしないやり方で向かおうとしていた。
生きる意味を探すことが、生きる意味だった。
今にして思うと、俺は長い時期にかけて社会的にうまくいっていなかった。
だからこそそういったキザな大きな価値観に、雨宿りをさせてもらう必要があったんだと思う。
そして酸っぱいぶどうの話のように、多分金銭や社会的地位を得れないからこそ、金を稼ぐなんて卑しいことだと、その時は特に思っていた。
でも元から本当に大切なことは、もっと他にあるんだって、ずっと心の中で思いながら生きてきた。
だから生きる意味を探すことが、俺の生きる意味だった。
だから、本を読み続け
哲学者、文学書
600冊くらい読んだ、
そしてある日、
それが全てわかったような気がした。
それは26歳の時だった。
ある日俺は、ぶりぶりざえもんになっていた。
妄想、幻覚、幻聴
なんでもアリの、ケツだけ星人になっていた。
でも薬によってそれは次第に落ち着いた。
それでも生きれているから、お前も大丈夫だよ。
その病気になったあとなんとか音読や、運動をして回復した。
その後海外を旅したり、東欧の国でクラブのマネージャーになったりもできた。
周りに支えてもらったおかげもかなりあると思う。
まだたまにぶりぶりざえもんになる時はある。
そのせいでいくつか仕事を辞めたりもした。
でもケツには、最終的には人間に戻っている。
だがそこから人間に戻って気づいた時には、
仕事を辞めていて宙ぶらりんになっている。
俺の人生はそんな繰り返しだ。現に今もそうだ。
でも何かになることはまだ諦めていない。
人生そんな時もある。
今は兄と海外で事業をしたり、
日本でいくつかの新しい事業をやろうとしている。
俺の人生を見ているとそう言った一見
「どん底」の時こそ、何か良いことがある前触れだ。
空間があるからこそ、新たなものが入ることができる。人生そんなものだ。
だから運動をして改めて少しずつ生活を良いものにして、また社会にできることを返していこう。