#08 : フィルムって生きている
最近はフィルムカメラで撮るようにしている。
デジタルで撮らないというわけではなくて、あまりにも忙しない日常から、少し逃れられるように撮っている気はする。
日常的に持ち出すのはLeica M3。
60~70年前のカメラが捉える光景
デジタルだとメモリーカードの許す限り何枚も撮れるんだけど、フィルムはお金もかかるしそんなに多く撮れない。
じっくり構えて整理して撮る。調整もちょっとだけで刹那を撮る。
そんなふうに撮ったあと写真屋さんで1週間現像してやっと見れる。デジタルと違って力の抜けた写真になるので
ほっとするんじゃないかなって思う。
電池がないカメラというのは半永久的に動くものなんだなと、毎回思わされる。
部品がなくなる、作れなくなるまで使い続けられる。
60年ちょっと前に作られたレンジファインダーのカメラであるLeica M3。そのデザインは驚くほどシンプルで精巧。
そんな60年ちょっとたったカメラで今でも撮れる。
撮ったものが見れるまで時間のかかるフィルムと、古いカメラで撮るということに、時間の長さと経過を感じるからこそ、何か惹かれるのかもしれない。
フィルムで撮る影と空
フィルムで撮る影と空が好きだったりする。
デジタルでも撮るんだけど、フィルムで撮れる影と空、物質が物質に写しとる、美しい色。これがデジタルでは再現できないんだなと思う。
デジタルとは違う存在感
時に見せるデジタルよりも強い存在感。コントラストやセンサーの解像度から見える存在感ではなく、光や空気からくる生きている物質的な存在感、これが撮れることを毎回心待ちにしている。
夏の色
フィルムが写す夏。あの強い照り返す光と緑の濃さ、真っ黒ではない影の強さ。
これが見たくて撮っている。
モノが生きている
道端にある物の存在感すらも何か浮き上がるようで、生々しい。
ものが生きているわけがないんだけど、写真が生きている。
1日の終わりの息遣い
1日の終わりの息遣い。
タングステン用フィルムの独特の雰囲気が街を際立たせる。
デジタルの方が夜は忠実に再現できるんだけど、露出不足から起きる複雑な黒の色味が、夜の街の別な表情を作り出すんだろうと思う。
フィルムで撮ること
フィルムがいつまでも存在するとは思っていないからこそ、できるだけ撮ろうと思っている。
光がデジタルに正確に置き換わるデジタルカメラと違って、光が化学反応で残ること。光が物質に置き換わることは、全てが電子の0と1に置き換わっていくことと、明らかに違う意味があるんじゃないかなと思う。