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【言志四録4】目の前の困難から逃げることは成長の機会を逃すこと(言志録4)

 週次の習慣にしていきたい言志四録の感想記載。
 今回は、言志録の4回目である。今回も自分の中で特に気になった項目を5つ取り上げた。その上で、その中で印象に残ったことを踏まえて、タイトルをつけてみた。
 5つともとても納得感の高いものばかりである。
とりわけ、私は、嫌なことを避けようとする性質があり、今回の「患難は才能を磨く」「なすべきことを避けるな」というのが突き刺さった。

 なお、引用は特段注記がない限り、川上正光訳注「言志四録(一)~(四)」講談社学術文庫からのものである。


58 実学二則-その二

山岳に登り、川海を渉り、数十百里を走り、時有ってか露宿して寝ねず。時有ってか饑うれども食らわず、寒けれど衣きず、此は是れ多少実際の学問なり。夫の徒爾として、明窓浄几、香を焚き書を読むが若き、恐らくは力を得るの処少なからむ。

山に登り、あるいは川を渉り、海に船出し、時には七、八十里の遠き旅をし、時には野宿して眠れないこともあり、食物がなくなってひもじい思いをしたり、時には寒さに遭っても衣類の用意がなかったりすることがある。
しかし、これらのことは、実際の学問で、(心身の鍛錬になり、また人情の機微に触れたり)大いに役立つものである。
これに比べると何事もしないで、明るい窓辺で、綺麗な机に向かって、香をたき、書を読むようなことは実際の力をつけることは少ないであろう。

現実社会にインパクトを与えない、学問や人間修養には、意味がない。
現実社会の中で、悪戦苦闘する中でいかに学ぶか、学びを深めていくか。それは、古今東西変わらないんだろう。今目の前で起こっている問題を直視してその問題解決に全力で当たりたい。そんな風に考えた。

59 患難は才能を磨く

凡そ遭う所の患難変故、屈辱讒謗、払逆の事は、皆天の吾才を老せしむる所以にして
砥礪切嗟の地に非ざるは莫し。
君子は当に之に処する所以を慮るべし。徒らに之を免れんと欲するは不可なり。

我々が出会うところの苦しみ悩み、変わった出来事、恥かしめをうけること、人から悪くいわれること、心に困ったと思うこと。これらのことは皆、天の神が自分の才能を老熟させようとするもので、いずれも我が修得勉励の資でないものはない。
だから、君子は、このようなことに出会ったならば、これをどう処理するかに工夫をこらすべきものでこれから逃げようとすることははいけないことだ。

問題が起こるとどうしてもそこから避けよう逃げようとする自分がいる。
これは裏返すと成長の機会を手放していることなのかもしれない。
どうしても嫌なことから逃げだしたくなる自分がいる。そういう状態から抜け出したい。
最近、とても嫌なことがあった。それをどう扱うか。自分の中でももう少し考えたい。

63 なすべきことを避けるな

凡そ事吾が分の已むを得ざる者に於ては、当に之を為して避けざるべし。
已むを得べくして已めずば、これ則ち我より事を生ぜん。

何事でも、自分の本分として、しなければならないことは、敢然とこれをなして、避けてはならない(この時は成功する)。
しなくてもよいことを、やめないでした場合は、自分から問題を起こすものだ。

これも、59に近いものがある。この項では、「しなくてもよいこと」これもついついやってしまいがちである。得意だから?好きだから?しなくてもいいことはいったん手放し、自分がやるべきことに集中する。これも大切なポイントだなとこの項を読んで考えた。

66 大利よりは小利に動かされ易し

爵禄を辞するは易く、小利に動かされざるは難し。

位や俸給を辞退することは易しいことだ。
しかし、小さな利欲に動かされないことは難しい。
(心に隙があって目前の小事には心を動かされ易い)。

これは気をつけたいところである。
何事も自分は最後でという思いでいないと周りの気遣い、もっと言えば忖度に流されてしまう。己を律するのは、小利のときの方が難しいというのは金言である。


88 眼を高くつけよ

著眼高ければ、則ち理を見て岐せず。

出来るだけ大所高所に目をつければ、道理が見えて、迷うことがない。

私にとって注意すべき項目である。どうしても目の前の事、直近の事が気になってしまう。
もっと目線を高く、視座を高めないといけない。俯瞰して見れるようにならないといけない。


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