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【言志四録5】自分こそ自分の拠り所(言志録5)

 週次の習慣にしていきたい言志四録の感想。

 今回は、言志録の5回目である。今回も自分の中で特に気になった項目を5つ取り上げた。その上で、その中で印象に残ったことを踏まえて、タイトルをつけてみた。今回は、特に「己を恃むべし」(己をよりどころにして進め)が気に入っている。

 なお、引用は特段注記がない限り、川上正光訳注「言志四録(一)~(四)」講談社学術文庫からのものである。

94 地道三則 その1

人は須らく地道を守るべし。地道は敬に在り。順にして天に承くるのみ。

人は地道を守らなければならない。地道とは、人をうやまい、自分はつつしむという「敬」ということだ。即ち、天理に従って身を修めるのみである。

解説によると、「地道」とは、固より低きに居るもの、謙徳を行い、自ら卑下するも、却って上行して人の尊崇を受ける。とあり、易経からの言葉らしい。

大自然に囲まれていると自分という存在の小ささを実感させられる。また自分一人では生きていけないと感じるときに自分の小ささを感じる。その時に同時に沸き起こるのが「敬」という気持ちである。生かされている自分を感じながら今できる最善を尽くす。それしかできることは無い。

105 無用の用 その1

天下の事物、理勢然らざるを得ざる者有り。学人或は輒ち人事を斥けて、目するに無用を以てす。殊に知らず、天下無用の物無ければ、則ち亦無用の事無きを。其の斥けて、以て無用と為す者、安くんぞ其の大いに有用の者たらざるを知らんや。若し輒ち一概に無用を以て之を目すれば、則ち天の万物を生ずる、一に何ぞ無用の多きや。材に中らざるの草木有り。食らうべからざるの禽獣虫魚有り。天果して何の用有ってか之を生ずる。殆ど情量の及ぶ所に非ず。易に曰く「其の須(ひげ)を賁(かざ)る」と。須も亦将た何の用ぞ。

世の中の物事は、自然のなりゆきでそうならざるを得ないものがある。(皆、存在理由はあるのだ)。
とかくすると、学問があると称する人は、あるいは人が行なう事を排斥し、無用物視する。そしてことに、「天下には無用の物もなければ、無用の事もない」ことを知らない。学人が排斥して、無用物視するものが、大いに役立つことがある。もし、人間の衣食住に何ら役立たないものは皆無用であると考えるならば、天の神はなぜ無用の物を数多く作ったのだろう。用材にならない草木、食用にならない鳥獣や虫魚などがある。天が果して、如何なる用途を目して、これらのものを生ぜしめたのか、人間の考えが及ばない。易経に「あごのひげをのばして儀容を飾る」とある。其の髭も何の役に立つものであろうか(我々はそう簡単に物を考えてはいけない。自然のなりゆきというものがあるのだ)。

これも自分から見えている景色や考え方が絶対ではないということを知れと言う事だと捉えている。
 少し話がずれるが、人生の中で無駄な経験などない。一見回り道に見えても意味がある。そのように最近感じられるようになった。それも無用の用であろうか。

106 無用の用 その2

凡そ年間の人事万端、算え来たれば十中の七は無用なり。但だ人、平世に処り、心寄する所無くば、則ち間居て不善を為すことも亦少なからじ。今貴賤男女を連ね、率ね無用に纒綿駆役せられて、以て日を渉れば、則ち念い不善に及ぶ者或は少なからん。此も亦其の用ある処なり。
蓋し治安の世界には然らざるを得ざるも、亦理勢なり。

 (前条の理屈を人間の事に当てはめてみよう)。一年中の仕事はさまざまであるが、これを算えてみれば十の中の七は無用である。ただ人は平和な時代にあって、心を寄せるところがないと、「大学」にいう「小人は間居して不善をなす」ことも少なくない。
今の世は、貴いも賤しいも、男も女も、無用の用が多くて、それに引きまわされて忙しく働いているから、悪い事をしようという気持の起こることが少ないのであろう。
これも無用の用ということであろう。思うに、太平無事な世の中では、こうならざるを得ないのも、また、自然のなりゆきである。

無用の用が多いと、忙しくて悪い気持ちが起きない。なんともシニカルな言葉である。仕事においても、人が増えるとその分仕事が生み出されるということはある。特にバックオフィス部門はそうである。

119 己を恃むべし

士は当に己れに在る者を恃むべし。動天驚地極大の事業も、亦都すべて一己より締造す。

およそ、大丈夫たるものは、自分自身にある者をたのむべきで、他人の知慧や財力、権力などをたのみにしては何ができようか。天を動かし、地を驚かすような大事業も、すべて、己一個より造り出されるものである。

解説では、釈迦入滅の時の言葉である「自燈明、法燈明」について書かれている。真理=法とはよく調えられた己であり、悟りを開いた「自由人」であるという。そう、自由であるとは自分を拠り所にして生きることなんだと思う。

法句経からの引用もよい。
「おのれこそ おのれのよるべ
他の誰にとよられようぞ
よくととのえし おのれこそ
まこと得難き よるべなれ」

121 独立自信

士は独立自信を貴ぶ。熱に依り炎に附くの念起こすべからず。

丈夫たるものは、他に頼らず、一人立って、自信をもって行動することを貴ぶ。権力ある者にこびたり富貴の者に付き従うような考えを起こしてはいけない。

これも、119に似ている。他人を頼っては、本当に自分がやりたいことができなくなるということであろう。また他人の眼を気にして自分が本当にやりたいことができない人への激励の言葉ではないかとも思う。


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