【言志四録3】人は過去の過ちには気づけても今の過ちには気づけない(言志録③)
しばらく空いてしまったが、言志録の3回目である。
今回も自分の中で特に気になった項目を5つ取り上げた。その上で、その中で印象に残ったことを踏まえて、タイトルをつけてみた。
今回は、「謙虚にして奢らず」という言葉と通じる言葉が多かった。一斎が40代後半のこの時期にこういう言葉を記していることは、心に留めておいた方がよい。
なお、引用は特段注記がない限り、川上正光訳注「言志四録(一)~(四)」講談社学術文庫からのものである。
34 少年と老年の心得
一斎、40代の時の言葉であり、同じ世代にあたる今の自分にとって戒めになる言葉である。
惰性に陥らず、いかに志をもち、気力を充実させるか。志をもって一日一日を大切にしていきたい。
42 知分と知足
自分という存在の小ささは日々感じるところである。
「足るを知るものが、天分を知るものである」というのが仏典にあるという。
自分という存在を活かしてやれることをやっていく。あまり悲観的にならず、でもあまり望外のことを望まずに。
43 昨非と今過
これは、今回取り上げる5つの中で一番心に響いた言葉である。
現在やっていることについては、なかなか俯瞰してみることができず、なかなか過っていてもあらためられない。ついつい自分の感情に流されてしまう。後になって悔いることもある。
大学院で学んだリフレクションで言うと、「行為の中のリフレクション(Reflection-in-action)」ということもつながっているように感じる。
44 得意時の注意
「勝って兜の緒を締めよ」「奢れるものは久しからず」など古来から言われている言葉である。これだけ言われているのは、なかなかその当事者になるとわからなくなってしまうのであろう。これも前項と同じく、自分という存在が俯瞰して見えなくなってしまうと言うことなのだろうと思う。
一斎がこの年代のときに言っていると言うことは私も自覚しておいた方がよいということだ。
46 政治の要諦
今の世の中で言うと、政治家に加えて、会社の経営者やマネジメントとも言える。会社は社会の公器であり、その人のポジションも単なる役割である。
ここを踏み外してはいけない。謙虚にして奢らず。今回取り上げる言葉は、そこに通じるものが多い。