【読書録17】致知 2021年12月号 「死中活あり」感想
今回で、4号目となる「致知」を読んでの感想。12月号も素晴らしい記事が多い。
総リード 「死中活あり」
「死中活あり」。安岡正篤師の「六中観」という人物を修錬するための方途を説いた言葉の一つである。
昨今の時流に鑑み、本号のテーマとして「死中活あり」を選んだという。そして、他の五中観(「忙中閑あり」「苦中楽あり」「壺中天あり」「意中人あり」「服中書あり」)は、すべて死中に活をひらくための要因のように思えるという。
続いて、紹介されているエピソードも印象的である。
坂村真民さんに聞いたという、ある校長先生の話。
船が沈む事故があった際に、渦に巻き込まれまいと必死にもがいた人は溺れ死に、捨て身で渦に任せた校長は助かった。
自己の保身を忘れて捨て身になった時、そこに活路がひらかれるという。
また松下幸之助が、戦後、GHQより財閥指定と公職追放になった時、「素直になるしかない」と思い定め、新たな一歩を踏み出した話。
様々な示唆に富むエピソードが本号も多い。特に本号は、私の敬愛する方の記事が多かった。
巻頭リードも含め、本号のテーマ「死中活あり」を通じた共通テーマは、以下の点ではなかろうか。
・主体性をもち、いまを生き切る
・逆境こそチャンスと逆境含め、現状を受け容れる
・素直に反省ある毎日をおくり、真の自分と向き合う
そんなことを考えさせられた記事をいくつか取り上げてみる。
最悪の時こそ最高の時である
サイゼリヤ創業者 正垣泰彦氏へのインタビュー記事。
コロナ禍で苦境にたつ、外食産業にあり、業績が回復しつつあるサイゼリヤ。創業者である会長の考え方が影響している面は多分にあると思う。物理学から得た示唆の話は、面白い。
困難に対する考え方も、示唆に富み、胸に刻み付けたい。
創業時まったく上手くいかず、店舗も火事になるなど苦しみながら徐々に軌道にのり、基本理念をつくるに至る。
基本理念の実行によりリーダーシップが身に付く。リーダーシップとは、部下や周囲の人に助けてもられること、この人のために頑張りたいと思われることだという。
従って自分中心で物事を考えている人は途中で成長が止まるという。
とはいえ、基本理念の実践は、難しい。だから、日々反省することが大切。人間は反省の階段を上がっていくと幸せになれるという。
静かに考え、自分自身に向き合い反省の日々を送っているという。
私に必要なことである。その場その場の感情流れに流されることなく、何が本質なのか問い続けたい。
いまを生きよ いまを生き切れ
田坂広志
32歳の時に、余命宣告をされるほどの重い病気を患った著者。絶望の中、寺の禅師との接見で気が付く。
気づいた瞬間、禅師からの言葉がよみがえる。
先日取り上げた、「嫌われる勇気」のアドラー心理学にも通じる。いまを精一杯生きないものは何も得ることはできない。
世の中で大事をなしている方に、大病や投獄経験があるのは、このいまを生き切るということを体得していることにもよるのかもしれない。
「運気を磨く」で書かれている「5つの覚悟」などの記述続く。
私の好きな考え方は、ポジティブ・ネガティブを分けて二項対立的に考えるのではなくすべてに「深い意味がある」と受け容れるという点。
本号で出てくる方々は、皆このような生き方をしているように感じる。
水急にして月を流さず
その他、本号では、恵林寺住職・古川周賢による「修養の人・武田信玄に学ぶ」やJFEホールディングス名誉顧問・數土文夫、グロービス経営大学院学長・堀義人の対談「『代表的日本人』に学ぶ人間学」など私が敬愛している方々による魅力的な記事が多いが、最後に横田南嶺老師による連載「禅語に学ぶ」の「水急にして月を流さず」を取り上げたい。
大自然はうつろいやすく、また仏陀は、「諸行無常」、人間が作り上げたものはすべて移ろいゆくと説いた。
「水急にして月を流さず」という禅語は、いかに激流のような中でも、月はそんなことに関係なく、平然とその上に影を落としているということを言うとの事。
水の流れは、大自然、人間が作り上げた社会、様々な煩悩に振り回される人の心を指し、どんな重いや感情の激流にも動じない月は、私たちの本心、仏心を指すという。
横田南嶺老師は、そのような禅語より、以下の通り説く。
サイゼリヤ会長の正垣泰彦氏が、日々反省することの重要性を説いた。稲盛和夫氏も「反省のある毎日を送る」という。
反省とは、すべてが移ろいやすい中、自分の仏心に立ち返る行為ではないか。また、いまを生き切るからこそ、反省が必要なのかもしれない。
すべての記事がつながっているように感じた。