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【言志四録7】心を書物の上に置かず、心の中に書物を置け(言志録7)

 週次の習慣にしていきたい言志四録の感想。
 今回は、言志録の7回目である。今回も自分の中で特に気になった項目を5つ取り上げた。その上で、その中で印象に残ったことを踏まえて、タイトルをつけてみた。

 今回は、前半の2項目が、実践することの大切さを説き、後半の項目が、動機や物事の進め方の重要性を説いている。どちらも自分のなかで大切にしたい要素であり、迷ったが、前半の項目からつけてみた。
 「本を1トン読む」「1日1論文」という目標(掛け声?)で本や論文読んでいるとそれが目的化してしまいがちである。
 実践における自分の視座を高めること、また実践における自分の手札の幅を広げることが目的である。また本書のような東洋思想も、視座を高め、人格を形成のための読書である。
 そこを見誤らないようにしたい。

 なお、引用は特段注記がない限り、川上正光訳注「言志四録(一)~(四)」講談社学術文庫からのものである。



145 本の虫

一耆宿有り好みて書を読む。飲食を除く外、手に巻を釈かずして以て老に至れり。
人皆篤学と称す。余を以て之を視るに、恐らくは事を済さざらんと。
渠れは其の心常常放かれて書上に在り。収めて腔子の裏に在らず。人は五官の用、須らく
均斉に之れを役すべし。而るを渠れは精神をばもっぱら目に注ぎ、目のみ偏して其の労を受け、而して精神も亦従いて昏かいす。此くの如きは則ち能く書を看ると雖も、而も決して
深造自得すること能わず。便ち除だ是れ放心のみ。且つ孔門の教の如きは、終食より
造次てん沛に至るまで敢て仁に違わず。試に思え、渠れは一生手に巻を釈かざれども
放心此くの如し。能く仁に違わずや否やと。

年老いた学者がいて、好きで書を読んでいる。飲食する以外は手から書物を放さずに
老人になってしまった。世間の人は、皆篤学の人だとほめている。
自分はこれをこう見る。このような人は多分事を成し得ないと。彼は心を常々書物の上に置いて、心の中に置こうとしない。人の五官は、均等にどれも使うべきだ。しかるに彼は、精神をもっぱら目にばかり注ぎ、目だけが疲れて、従って精神もくらんで来る。
このようなことでは、どんなによく書物を見ても、決して深く蘊奥を極めて真意を把握するわけには行かない。ただ心を書物の上に放って置くだけだ。
その上、孔子の教えは、食事する時間から、突嗟の場合まで、少しも「仁」に違わない心掛けが必要なのである。
考えても見給え、彼は、一生涯手から書物を放さないが、心は放しっぱなしである。
これで「仁」に違わないといわれようか。

「心を本の上に置くのではなく、本を心の中に置く」
事を為すための読書であり、手段と目的を混同しない。私にとっても大切な観点である。
本を読んで、自分の実践に活かせることをいかに引き出すか?
振り返りの時間を大切にしたい。

事を為す。五感を使う。

大事にしたい。

146 学者の今昔

孔門の諸子或は誾誾如たり。或は行行如たり。或は侃侃如たり。
気象何等の剛直明快ぞ。今の学者、終歳故紙陳編の駆役する所と為り神気奄奄として奮わず。
一種衰颯の気象を養成す。孔門の諸子とは霄壤なり。

孔子の門弟は、あるいは閔子のように穏和のなかにも英気があったり、あるいは子路のように剛健であったり、冉有や子貢のように真直で正直であったり、なんと気象が剛直明快であったことよ。
ところが、今の学者は一年中反古紙や古本にふり回されて、息も絶え絶えとして少しも奮わないであわれに淋しい気分を養成している。
なんと、孔子の弟子達とは天地の違いがあるではないか。

 これも前項に続き、実践すること、行動することの大切さを説いている。剛直明快に行きたいものだ。理論と実践の往還、自分の中でも重要なテーマである。

183 私心を挟むな

事を処するに理有りと雖も而も一点の己れを便するもの挾て其の内に在れば、則ち理に於て
即ち一点の障碍を做して理も亦暢びず。

事を処理するのに自分の方に道理があっても、その中に僅かでも自己の便宜のためにするという私心が挾まれておるならば、これが道理上にも障碍となって、道理が通じなくなるものである。

 こういうことは、自分では表に出してないと思っていても出てしまうものだ。他人からは感ずかれてしまう。
 「動機善なりや、私心なかりしか」(稲盛和夫)これを自分に常に問いかけていくこと。大切にしたい。

193 心服させる言

理到るの言は、人服せざるを得ず。然れども其の言激する所有れば則ち服せず。
 強しうる所ところあれば則ち服せず。挾む所有れば則ち服せず。 
便ずる所有れば則ち服せず。凡そ理到って人服ざれば、君子必ず自ら反りみる。 
我先ず服して、而る後に人之れに服す。 


道理の行き届いた言葉には、誰でも服従しないわけにはいかない。
しかし、その言葉に激しいところがあると、聴く人は服従しない。 
無理に押しつけるところがあると、服従しない。 
身勝手な私心を挾むところがあると、服従しない。
 言う人の便利をはかろうとするところがあると、服従しない。
凡そ、道理が行き届いている(と思う)にも拘らず、人が服従しない時には、
君子は自ら反省する(ものだ)。
先ず、自分自身が心から服従して、しかる後に人は服従するものである。

 これも私自身、気をつけないといけないところ。
正義を振りかざしてはいけない。
正しいことでも、進め方、言い方はある。
 どんな時でも自らを省みる姿勢は大切にしたい。
自分の中では、とても突き刺さった項目である。

223 事を為す術

漸は必ず事をなし、恵は必ず人を懐く。 
歴代の姦雄の如きも、其の秘を窃む者有れば、一時だも亦能く、志しを遂げき。 
畏る可きの至なり。 

急がずに漸進的に事を運べば、必ず成功するし、精神的、物質的に人に恩恵を施せば、必ず人をだき込むことができる。
歴代の心悪しき姦物でも、この秘訣をこっそりと盗んで、一時的ではあるが、彼の野心を成し遂げたものがある。まことに恐ろしいことだ。

 この項目は解釈が結構難しいところであった。
急がず斬新的にことを運び、精神的・物質的に人に恩恵を施すということに力点を置いていると理解した。
 周囲の理解、サポートがないとうまくいかない。
Give、Give、Giveの精神でいきたい。


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