委ね・溶合い・生成変化
自分という枠組みを超えていくため、敵対する自分ならざるものと相まみえる。そんなことを前に書いた。今度はすこし違う角度で、敵対ではなく溶け合うことで、再び考えてみたい。
ぼくたちの現実の認識は、多くの場合<ぼく>や<わたし>という"主体"が、<イス>や<リンゴ>にはたまた<アナタ>という"客体"を取り扱う。というように考えてしまう。こうすることで、主体と客体は離別し、主体による他者(自分以外のあらゆるもの)の対象化が行われる。この切り分けは近代的な捉え方であり、原因と結果をリ