見出し画像

第7章 『香港バリケード』


遠藤誉/共著深尾葉子『香港バリケード 若者はなぜ立ち上がったのか』(明石書店、2015)の書評文


 同書は安冨さん単体の著作ではなく、共著なので、安冨さんの文章自体はそれほどありません。どちらかと云えば、遠藤誉さんの文章が中心的で、それに安冨さんたちの文章が応答しているかたちと云えます。
 私自身、同書を読んでまず思ったことは、意外とアジアや近隣の国々のことを知らないのだなと云うことです。同書では、香港での雨傘運動がなぜ発生したのかについて論ぜられていますが、登場する人物は漢字が多いです。中国文化圏の人間や社会について記述するわけですから、当たり前なのですが、意外と知らない人が多かったです。どうしても、日本では外国はヨーロッパやアメリカのことと云う無意識の前提があるので、意識しないと中国などのアジアについて知る機会はないと云うことです。私自身もアジアよりもヨーロッパのほうが詳しいので、同書の内容を正確に評論するのは難しいです。

 ただ、いくつか気なった記述があります。
 まず、本書の第七章で、安冨さんが社会運動を発展させるには、運動に参加している人同士のコミュニケーションが必要だと述べている箇所です。(218-219頁)安冨さんは、福島第一原発事故後の首相官邸前デモと天安門広場や雨傘運動の違いは、人々が日常の殻を破って心をつなぎ合わせる「無縁の原理」を作動しない/させることだと述べています。この箇所を読むだけでも、安冨さんの政治戦略がみえてきます。安冨さんが過去二回、選挙に出馬していますが、根底にある政治戦略は「無縁の原理」を作動させることだと云えます。安冨さん自身、若い頃に天安門を目撃し、そのときの北京の様子を「とても明るく爽やか」と形容し、バブルに浮かれていた当時の日本と真逆で、『「まともな人間」や「まともな社会」というものを初めて見たように思った』(210頁)と述べています。
 ある意味では、安冨さんの以後の活動はどのように人々が日常の殻を破り、心を触れ合う「無縁の原理」を作動させるかに力点を置いているとも云えます。
 次に、同書の「終章」で遠藤さんは雨傘運動に立ち上がった若者を「雨傘世代」と形容していましたが、これと同様の言葉が「ジェネレーション・レフト」や「Z世代」と云えるかもしれません。『人新世の「資本論」』で話題になっている齋藤幸平さんは、現在の欧米の若者は資本主義よりも「社会主義」に共感を持っていると指摘し、人間は出来事をどのように解釈するかによってその後の行動が変わると述べています。


 斎藤さんの議論では、資本主義の暴力について論ぜられているので、同書が扱っている中国共産党政府の国家権力的な暴力とは若干異なりますが、やはり「暴力」に対抗しているのは変わらないと云えます。そのように考えると、安冨さんがガンジーの「非暴力主義」をわざわざ論じている意味がわかると思います。



この記事が参加している募集

最近、熱いですね。