どうも、こんにちは。吉成学人です。
今回は年間読書人こと田中幸一さんの過去の業績を記事にしたいと思います。
田中さんとは、昨年の11月6日に記事で紹介したあと、ご本人が紹介の仕方に不服があったことで、夜中から午前4時近くまでコメント欄でやり取りをすることになりました。具体的には、彼のアイデンティティ呼称をめぐる問題で、彼の機嫌を損ねたことが原因で、私の対応にも問題があったと認めます。
とは云え、差別や人権問題にあまり関心のある書き方ではなかったので、過去の彼の業績を追いかけることにしました。ざっと、読んだ感じとしては彼の元々の関心はアンチミステリー関連で、文学関連の評論で評論家としてデビューしたことがわかり、社会問題や宗教関係の評論を行なうようになったのはだいぶあとだと云うことがわかりました。まぁ、元々専門の分野ではないので、付け焼き刃感が否めません。
なお、田中さんご自身、私のコメント欄で「この世界に意味はないんだ」と云うことをおっしゃっていて、過去の発言や文章を読んでも同様の主張をされているので、「じゃあ、あなたとやり取りするのも意味ないですし、文章を読む必要もないですよね。だって、あなたも意味のない世界の一部ですから」と云うことで、ご本人の意志を尊重するかたちでブロックをすることに決めました。ブロックしたあと、なぜか田中さんは私のことを記事にしたようですが、何か問題があったのでしょうか。
ちなみに、私と同様の体験をされた令士葉月さんと云う方がいらっしゃり、彼の人物評を記事にされていますので、過去の彼の業績を調べた私の結論とほぼほぼ一致しているので、特に付け足すことはありません。
とは云え、noteユーザーの中で、今後も田中さんの記事を読んだり、彼と交流するさいに、私が収集した資料が一定の参考になると思いますので、本記事ではまとめ的な感じで過去の業績を紹介したいと思います。ちなみに、あらかじめ断っておくと、私自身は田中さんに悪い感情は持っていません。むしろ、彼のおかげで今まで読まなかったジャンルの書籍を手に取るようになり、読書の幅が広がったことを感謝しています。
1、田中幸一さんの経歴
まず、田中さんの経歴についてですが、彼が監修を務めた『バラの鉄索 村上芳正画集』のAmazonの頁に記載されている彼の経歴は以下のようになっています。
と云うわけで、具体的な業績ですが、国会図書館やサイニーで検索をかけても、『薔薇の鉄索』以外にヒットしませんでした。
とは云え、国会図書館やサイニーに収録されていない媒体で文章を書いている可能性があるので、その線で調べることにしました。結果、単独で田中さん個人名義で書籍になるようなまとまったかたちで文章を書いていませんが、他の小説家の書籍や同人誌では文章を書いていて、ネットでいくつか論争を行なっていたことが確認できました。
と云うことで、以下、時系列順に紹介していきたいと思います。(なお、引用資料には差別的攻撃的な文言が含まれていますが、当時の時代背景や原文を尊重する観点から原文のママ掲載します)。
2、「得体の知れぬ怪物のようなもの」の所在ー「評論家・法月綸太郎」の虚像と実像
最初に紹介するのは、小説家の竹本健治さんが1995年に刊行した『ウロボロスの基礎論』に収録されている『「得体の知れぬ怪物のようなもの」の所在ー「評論家・法月綸太郎」の虚像と実像』です。
同作は、小説家の竹本さんの代表シリーズである『ウロボロスシリーズ』の二作目にあたる作品で、著者本人や90年代に活躍した作家が架空の小説の世界に登場する内容で、現実の人物を素材にしつつ、架空の物語を展開するポストモダン的な世界観に基づいています。とは、現在20代の私にとって、現実と虚構の境界を曖昧にする作品自体はあまり新鮮さを感じないのですが、その後のライトノベルやアニメ、ゲームなどのサブカルチャーに影響を与えたのかなとぼんやりと思いました。
初版本に収録されている田中さんの論考は340ー354頁に収録され、およそ14頁にかけて掲載されています。内容としては、タイトルになっている評論家兼作家の法月綸太郎さんとの論争と云うかたちになっています。とは云え、あまり小説を読まず、ましてや30年近く前のアンチミステリー業界のことはよくわからないのですが、結論で田中さんが云いたいだけはわかりました。
論考の末尾に関しては、同じ単語が繰り返し述べられているので、小泉進次郎構文のように読めました。
法月さんは田中さんの同論考に対して、以下のように反論しています。
法月さん自身は田中さんの指摘にあまり影響を受けなかったようで、その後も作家兼評論家として現在も活動しており、一部の著作は中国語やハングル、英語に翻訳されています。
ちなみに、田中さんも同作に登場しますが、物語の途中で殺害され、汚物にまみれた状態で発見されます。作中で田中さんが殺害された理由について、竹本さんは以下のように語っています。
なお、田中さんが死亡したと云うのはあくまで架空の小説の中での設定であって、現実の本人は存命なので安心してください。
3、地獄は地獄で洗えー笠井潔批判
次に、紹介するのは1996年に、第三回創元社推理評論賞に応募した「地獄は地獄で洗えー笠井潔批判」です。現在は、「別冊シャレード48号 笠井潔特集」に収録されていますので、ご感心のある方は同誌を発行しています甲影会に連絡して購入してみましょう。なお、私が購入したさいは1000円ほどでした。
同論考のタイトルになっている笠井潔さんは若き日の田中さんの推しの作家です。田中さんがミステリーファンになったきっかけとして、笠井さんの作品を上げています。正直、田中さんの過去の業績を調べるまで「笠井潔」と云う作家のことは知らなかったのですが、元全共闘運動の活動家で連合赤軍事件に衝撃を受けて運動から撤退したあとに小説家になり、マルクス主義に依拠しない左派思想の構築を提唱するなどの思想家としての側面を持った人物で、現在も現役で活動しているようです。私も参考として、何冊か読んでみました。文章は全共闘世代の雰囲気があって『テロルの現象学』のような評論は難しかったのですが、小説の矢吹駆シリーズはなるべく読者を楽しませつつも、自身の思索を作品に織り込んでいると云う感じがしました。
田中さん自身、笠井さんの熱烈なファンだったそうで、20代のときに本人に招かれて直接インタビューをする機会に恵まれたそうです。(なお、当時のインタビュー記事「アンチミステリの巨人 笠井潔さんに聞く」も「別冊シャレード48号」に収録されています)。もっともその後は、笠井さんを批判するようになり、体系的にまとまった文章として同論考を執筆したようです。
さて、同論考の内容としては、推しの作家である笠井さんへの愛情に溢れていますが、それゆえに現実の文壇での笠井さんの言動に不安を覚えるそうで、曰く「不徹底」だそうです。もっとも、なぜか同論考では笠井さんの作品の内容よりも、現実の人間関係のほうに頁を割いていています。
最終的な結論として、田中さんは以下のように書きます。
田中さんは6年後の2002年に、「歴史的記述として」と云う論考の中で、当時の選考委員の論評を取り上げています。ちなみに、笠井さん本人はノーコメントだったそうです。
なお、私が同論考を読んだ印象は、当時の選考委員とあまり変わりませんでした。ちなみに、当時の田中さんは別件で笠井さんに抗議を受けたそうです。その当時の様子を以下のように回顧しています。
同誌では、他にも90年代から00年代の田中さんによる推しの笠井さんへの愛情が溢れた論考が複数収録されていますので、若き日の田中さんの推し活にご関心のある方は甲影会に連絡しましょう。
4、空虚に巣食う魔ーー笠井潔と奈須きのこ
次に紹介するのは、2004年に自身の掲示板「アレクセイの花園」で公開した「空虚に巣食う魔ーー笠井潔と奈須きのこ」です。同掲示板は現在、サービスの停止から閉鎖されていますが、中国系のサーバーで魚拓が残っているため、文章の閲覧は可能です。
https://archive.md/ycqUd
内容は、当時の新人作家であった奈須きのこさんのデビュー作『空の境界』の批評なのですが、なぜか同書の解説を書いた笠井潔さんへの批判が全面に出ています。
しかも、なぜか冒頭の数十頁を読んだだけで、「文章が下手」や「思考力が低い」と述べています。
私も試しに、同書を手にとって読んでみたのですが、上下二巻の全7章で800頁以上ある長編作品を冒頭の箇所だけで評価して良いのかと疑問に思いました。元々、同作は奈須さんの同人サイト「空箒」に掲載され、その後、加筆修正された上で講談社ノベルスから出版されています。なので、冒頭の章は文章が全体的に短くて描写も荒く、世界観も登場人物のこともよくわからないまま話が進むのでいまいち頭に入ってこないのですが、後半の章に進むにしたがって描写が洗練されていき、どのような世界設定で、登場人物の背景が明かされていきます。ある意味では、素人の同人作家だった奈須さんがプロの作家に転身していく軌跡が文章から読み取れます。
なぜか同論考の後半は笠井潔さんの解説の批判となっていて、肝心の同書の批評を放棄します。笠井さんの話が延々と続いていて、正直何を云っているのかよくわかりませんでした。ただ、結論の部分はよくわかりました。田中さんは同論考の結論を以下のように述べています。
なお、後年の2011年に、ヤフー知恵袋では同論考に関する質問が寄せられています。
それに対する回答は以下のようになります。
ヤフー知恵袋の評価だけでは物足りなかったので、私は同論考を株式会社ユーザーローカルが提供するAIによるテキストマイニングで分析することにしました。分析結果をみると、単語の出現頻度では、「空の境界」や「奈須きのこ」よりも「笠井潔」のほうが多いことがわかりました。
さらに、文章内での単語の出現パターンを表した「共起キーワード」では「笠井潔」のほうが「奈須きのこ」よりも複数の単語と紐付いていることがわかります。なお、出現頻度の多い単語ほど丸が大きくなり、関連が強いほど線が太くなるようで、「奈須きのこ」があまり重要な単語でないことがわかります。
次に、文章の中での出現傾向が似ている単語ほど近く、似ていない単語ほど遠くに配置される「二次元マップ」では「奈須きのこ」には「解説」「思う」「書く」「公開」「空の境界」と云った当たり障りのない単語が配置されているのに対して、「笠井潔」では「意味」「小説」「事実」「作品」「事実」「年代」「文章」と云った小説作品を語る上では重要な単語が配置されているのがわかります。また「奈須きのこ」よりも「笠井潔」のほうが「伝記小説」や「本格ミステリ」に近い位置に存在しています。と云うよりも「作家」や「伝記小説」と云った重要な単語がかなり脇に追いやられているのがわかります。
文章全体の感情を分析する「サマリー」では「ポジティブ」よりも「ネガティブ」のほうが目立ち、「怒り」に強い力点が置かれていることがわかります。
さらに、文章を分割して、ポジティブな感情とネガティブな感情の比率の推移を時系列順に分析した「ポジネガ推移」では前半の奈須さんの文章を批判する箇所でネガティブな感情が高く、後半の笠井さんの批判になるとネガティブな感情が下がり、ポジティブな感情が若干目立ちます。しかし、結論部分になると、再びネガティブな感情が盛り上がっていくことがわかります。奈須さんに強いネガティブな感情を持ち、笠井さんにはネガティブな感情とポジティブな感情が入り混じっていることがわかります。
最後に、文章を分割して感情の起伏の推移を時系列順に分析した「感情の推移」では前半の奈須さんの文章を批判する箇所では「怒り」「悲しみ」が大きく膨らんでいることがわかります。しかし、後半の笠井さんの文章を批判する箇所になると「怒り」「悲しみ」は一気に後退して代わりに、「好き」「喜び」が目立ちます。ところが、結論部分に入っていくと、「怒り」が一気に盛り上がり、最後に「悲しみ」が膨れ上がることで「喜び」「好き」が萎んでいくのがわかります。奈須さんに対しては「怒り」「悲しみ」の感情を向け、笠井さんには「喜び」「好き」と云う感情を抱いているのがわかります。逆に云うと、笠井さんが奈須さんを評価していることで「怒り」「悲しみ」が笠井さんにも向かっていることがわかります。
以上のようなAIによるテキストマイニングによる分析結果からも、ヤフー知恵袋での「笠井潔を批判したいだけ」と云う評価は妥当と云うことになります。もっとも、当の笠井さんに対しては複雑な感情を抱いているのようで、「怒り」「悲しみ」のような「ネガティブな感情」だけではなく「喜び」「好き」のような「ポジティブな感情」を抱いていることがわかります。20代のときからの推しで個人的な面識もあったのですから当然かも知れません。
一方で、当時デビューしたての新人作家であった奈須さんは31歳の若さで、商業出版デビューを果たし、すでにベテランの作家だった笠井さんから「解説」を書いてもらっています。片や、田中さんが商業出版デビューを果たしたのは、1994年の竹本健治さんの『トランプ殺人事件』角川文庫版の「解説」からです。94年当時の田中さんは32歳で、奈須さんがデビューしたさいの年齢と1歳しか違いません。その若者がいきなり大作を出してデビューし、自分の推しだった作家から「解説」を書いてもらったのですから、上記のような分析結果になるのは、ある意味では仕方がないのかも知れません。
ちなみに、奈須さんはその後も作家として、小説のみならず、ゲームシナリオやアニメの脚本などを手掛け、世界的な作家となります。私は同論考を読むまでは「奈須きのこ」と云う人物のことは知りませんでしたが、奈須さんがシナリオを執筆していたFateシリーズは知っていました。学生時代、友人たちが夢中になっていたパズドラやポケモンGOと云ったスマホゲームの他に、Fateシリーズが話題に上がっていました。私自身、ゲームはやらず、漫画も読まなかったのですが、テレビのCMでは同作のコマーシャルが流れているので、Fateシリーズの存在は知っていました。その原作者の作品をこんなところで読むとは、人生何がつながるのかわかりません。
5、その他
最後に、田中さんがネット上で行なった議論をまとめたいと思いますが、前述の論考群と比べると文章が短くて内容が薄いので「その他」にくくることにしました。
まず、2007年に、評論家の原田忠男さんと行なった論争です。論争のきっかけは、同年に新刊だった竹本健治さんの『キララ、探偵す。』のレビュー内容が被っていてどちらが先に書いたか、だったそうです。その後、なぜか批評そのものに関する論争になったそうで、原田さんは浅田彰さんの『構造と力』の解釈を求めたそうですが、田中さんは返答しなかったそうです。原田さん曰く、浅田さんの『構造と力』は笠井潔さんの主著である『テロルの現象学』と同時期に刊行されており、笠井さんは浅田さんの著作を意識しながら、『テロルの現象学』を執筆したそうです。
私も試しに、『構造と力』を読んでみたのですが、あんまりよくわかりませんでした。なるほど、浅田さんが80年代の日本の論壇を代表する言論人で、『逃走論』を読んだことがあったのですが、『構造と力』は難解でした。ある意味では、70年代の学生運動やマルクス主義を理解していないと内容を掴めないのかもしれないと思いました。『テロルの現象学』も直接、浅田さんの名前は出てきていませんが、ほぼほぼ同時代に評論家として著作を出しているわけですから、意識していなかったたとは考えにくいです。とは云え、現在からすると、あれもこれも読まないといけない、と云う教養主義的な雰囲気が気になるのですが。
最終的に、原田さんは田中さんに現代思想の用語が田中さんには理解ができないことに無配慮で傷つけてしまったと云うことで謝罪しました。ちなみに、原田さんのブログ記事のコメント欄には以下のようなコメントが貼り付けられていました。
なお、現在はリンク先の文章が読めないのですが、原田さんご自身は以下のような所感を抱いたそうです。
結局、原田さんはミクシイで田中さんをブロックすることにしたそうで、後日、メールをいただいたそうです。
ちなみに、田中さんからのメールは以下のような文章からはじまります。
内容としては、自分をミクシィコミュニティに誘ったのは原田さんなのだから、ブロックするのは筋違いである。だから、ブロックを解除して欲しいそうです。
ちなみに、同記事のコメント欄でも田中さんは書き込みをしていますが、内容は煩雑なので取り上げません。ご感心のある方は原田さんのブログを直接閲覧してください。
次に、2012年にTwitterで笠井潔さんとその周囲の作家たちとの論争をまとめた「マルクス葬送派」笠井潔と「笠井潔葬送派」の私」です。田中さんのTwitterアカウントは現在停止されているので元のツイートは閲覧できませんが、トゥギャザーでは現在でも閲覧可能です。
トゥギャザーの冒頭で、田中さんは笠井さんへの思い出を語っています。
2012年当時、田中さんは50歳なのですが、90年代のころの笠井さんとの思い出をツイートしています。
なお、田中さんは笠井さんのツイートをフォローしていたみたいですが、肝心の笠井さんは一向に反応してくれなかったみたいです。笠井さんのツイートにリツイートしても肝心の本人からは何もなかったみたいです。
時折、田中さんは笠井さんへの思いを吐露しています。50歳の中堅になっても、推しへの思いは捨てられなかったようです。
ちなみに、この時期には原田忠男さんとは仲直りをしたみたいで、詩人の藤森槐さんと議論をすることになったようです。なぜか、笠井さんのことよりも三島由紀夫や太宰治の自殺に議論がスライドしたようです。どうやら、田中さんには現代思想の議論は難しかったようです。
その後も田中さんはいろいろ文章を書いていますので、気になる方は彼のnoteをみましょう。まぁ、私が収集した範囲で目立った業績は以上になります。
6、まとめとnote運営への要望
さて、私が田中さんの過去の実績を調べるにあたって参考資料として、笠井潔さんや竹本健治さん、奈須きのこさんなどの作品を読んでみました。そこで得た結論は、
いやー、プロの作家の書いたものって素晴らしいな
でした。
いやー、やっぱり素人が作った料理とプロのシェフが作った料理ではレベルが違うように、アマチュアの書いた文章とプロの書いた文章は違うなー、と云うことです。ネットサーフィンをするのも良いのですが、たまにはプロの書いたものにお金と時間をかけることも必要と云うことです。
と云うわけで、田中さんありがとうございました。さようなら。
なお、note関係者でここまで読んでくださった方がいましたら、noteのコメント欄の機能に関して若干の要望があります。
noteでは基本的に、自由に好きなことを書けるので多くのユーザーがいるのですが、あんまり自由放任にするのは問題ではないでしょうか。特に、コメント欄に関しては、ユーザーの自己管理にまかせているせいで、対応能力の弱い人から退会してしまっています。
私みたいにフォロワーが二桁しかおらず、別に作品を投稿しなくても生活に支障がなく、「うーん、そうか。元気で生きてね」と云える人間ならともかく、フリーランスで生活がかかっている人やメンタルの強くない人にはあまり優しくない設計になっています。
実際、田中さんみたいな論理的に「無敵な人」が問題を起こしているわけですし、ユーザーに心理的な負担を強いるプラットフォームはトラブルの温床になるのではないでしょうか。
なお、noteの運営の方は私よりも年上で、00年代のインターネット黎明期を経験された方が多いと思います。そのころに味わった自由や開放感のようなものが大変新鮮だったことは理解できますし、本記事で紹介した奈須きのこさんは00年代の同人サイトから出てきて会社を設立し、商業的な成功を収めています。実際、ネットのブログから言論人やライターデビューした人は数え切れないほどいますし、「好きなことを自由に云える文化」が一定の功績を上げてきたことはわかります。
ただ、現在の社会では初期のインターネットのような「好きなことを自由に云える文化」の害悪を指摘する声が強くなっていることは理解していただきたいです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー2023年5月3日追記
本記事の注釈として下記の記事を公開しました。まぁ、本記事が事実を並べて、下記の記事では私なりの評価を述べた感じです。それにしても、皆さんはあんまり人が過去に何を書いていたのかに関心がないんですね。それよりも、「今ここ」の差異化が気になるみたいです。私も「今ここ」は大切だと思うのですが、もう少し長い視点でみようと云う気にはならないのは不思議に感じました。